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メープルさんのコーナー

2007年7月31日(火)
娘のことをお話しします

 「Mちゃん(娘の名前)てね、幼稚園でしゃべんないんだよ。」「Mちゃん、おうちではしゃべるの?」屈託なく訊いてくる娘の同級生たち。現在小学校1年生の娘が幼稚園に通っていた時の話。娘は幼稚園では一言もしゃべることが出来ませんでした。返事すら出来ませんでした。

 娘は毎朝の点呼の時も「はい」の一言が言えず手を挙げて応えていたそうです。前に出て何かを言わなければいけない当番の時も一言もしゃべらなかったそうです。先生とも会話をした事が無く、自分の意思は首を縦に振るか横に振るかで示していたそうです。

 しゃべることが出来ないことを自分でも情けないと思っていたようで「皆が出来ることがどうして私には出来ないんだろう。おしゃべりしたいんだけど声が出ないんだよ〜!喉の奥に龍さんが詰まっていて声が出て行かないんだよ〜!」夜、布団をかぶって涙を流した事も何度かありました。

 娘は「いつもと違ったこと」がとても苦手です。行事は本当に苦手だったようです。運動会も会場まで行ったものの結局出場せずに客席で見学しました。お遊戯会も当日の朝になって「やっぱり出たくない」と舞台に上ることはありませんでした。運動会、お遊戯会と我が子の姿をカメラやビデオで楽しそうに追いかけている他の保護者の姿を横目に「子育てを間違ってしまったのかな・・・」と心底自己嫌悪に陥りました。

 口にこそ出さなかったものの私の「がっかりした気持ち」を表情やちょっとしぐさに見て取った娘は「Mってダメな子?」「Mってばか?」とよく聞いてきました。また失敗するということに大変な恐怖を抱いていましたし常に「先生」という「評価者」を気にしていたようです。「幼稚園」と「家」をピシっと線引きし幼稚園では絶対に自分の「素」の部分を見せまい、と緊張していたようです。

 去年、児童心理について書かれているある文献から「場面緘黙症」という見慣れない5文字を見つけました。場面緘黙症についての内容を読み進むにつれ「これは娘のことではないだろうか?」という気持ちと「そんな事がある訳ない!」という否定の気持ちが複雑に入り乱れました。「やはりMはこの場面緘黙症ってやつだよ。」と言ったのは主人でした。「今は原因がわからないけどこれは心の障碍の一つなんだよ。君の子育てが間違っていた訳ではない。そのままのMを受け止めるしかないじゃないか。」と言い切ったのも主人でした。


 主人のこの一言で私も腹が据わりました。文献やネットで場面緘黙症のことについて調べました。幼稚園の担任の先生とも娘への対応を細かくお願いしました。(無理強いしない、特別扱いしない、必要以上に構わないなど)某大学の心理学部の先生に親子カウンセリングを受けたりもしました。娘を肯定し続け、受け入れ、抱きしめ、ゆっくりと見守りました。その結果、年長の3学期には自宅に友達を呼び、一緒に楽しいひと時を持つことも出来ました。また「絶対に出ない!」と言っていた卒園式にも出席出来ました。

 小学生になった今も友達とおしゃべりは出来ていないようですし、行事の一部にも出ていません。先日も「お当番イヤだから学校休む!」と学校を休みました。けれど担任の先生によると朝の点呼の返事、国語の音読は出来ているようです。小さくながらも手も挙げているそうです。隣の子とふざけあったり笑顔もたくさん出てきているそうです。幼稚園時代には考えられなかった進歩です。MはMなりの歩調で歩いているのだ、人と比べてはいけない、と思っています。幸い担任の先生のことは大好きな様子。先生は娘に対して何事も強要したりしたりせず、大きな目で見守って下さっています。先生の協力を得ながら少しづつ改善の方向へ向かっていけたらと願っています。

 場面緘黙症の子は意地を張ってしゃべらないのではない。気取っているからでもない。しゃべりたくてもしゃべ「れ」ないのです。本当は友達に「おはよう!」も「ありがとね」も「ごめんね」も言いたい。仲間に入ってふざけたり他愛もないおしゃべりを楽しんだり一緒の時間を友達と共有したいのです。

 場面緘黙症という心の氷を溶かすのは「愛情」だと私は信じています。それは親と学校の先生をはじめとする周りの方々の理解と愛情。「あなたはあなたのままでいい」と受け入れてあげること。ゆっくり見守ってあげること。そして親も自分のことを「自分は自分のままでいい」と受け入れることも肝心なのだと最近になって思いました。

 私は自分でも気がつかないところで「周りが娘や自分のことをどう見ているのか」を大変気にしていました。「かわいそうなMちゃんとママ」・・・そう人様から思われたくなかったのです。そして自分のことを「駄目なやつ」と否定していた事にも気がつきました。「周りからの評価を気にし、自己評価が低い」・・・・娘の姿は実は自分の姿だったのではないかという事にも最近になって気が付きました。

 母親の私も「私は私でいい」と自分を認め、娘を受け止める。現場の先生方も「この子はこの子でいい」と子ども受け止める。内側からと外側から暖めていく・・・。そうした時緘黙症という分厚い心の氷は少しづつ溶け始めると信じています。



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