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ふわりさんのコーナー

2007年7月31日(火)
大人になって思うこと

 私は、家では普通の明るい子供でした。でも、保育園に行くと、一言も喋りません。それは小学校へ行ってからも同じでした。なぜ、喋れないのか、自分でもわかりません。答えは、きちんと心の中で用意してあります。何を聞かれているのか、わからないのではなく、言葉として発することができないのです。言いたい、喋りたい気持ちはあります。でも、言葉にならないのです。

 当時、私はこの事実を「辛い、苦しい」という感情より、学校では話さない自分が当たり前で、これが私の性格なのだから仕方がないという気持ちで通っていたように思います。休み時間やグループを決める時や、何をするにも1人で行動し、心の奥底では「寂しい」という感情があるのに、それを押し殺して、「私は1人でも平気」という顔をして過ごしていました。

 そんな私に、両親は何も言いませんでした。「学校できちんと話しなさい」と注意されることもなく、家では私が元気なので、学校で話さない事実が信じられなかったようです。学校の先生も特別、配慮をしていただいたことはありません。きちんと学校へ通い、宿題や忘れ物もなく、生活態度に何も問題はなかったからです。

 でもそれが間違いだったと気づいたのは、私が32歳になった時でした。大人になって、「緘黙症」という言葉を知ったのです。そして、周りのサポートにより治療可能という事実。ショックでした。今まで、たった1人で苦しみ、悩み、頑張ってきたのに、なぜ、誰も教えてくれなかったのだろう、そんな気持ちです。

 緘黙症の子は、気持ちを周りに伝えることをしないので、わかりにくいと思われるかもしれませんが、話せないということ以外は、すべて一緒です。1人では寂しい。話しかけられれば嬉しいし、一緒に遊んでくれれば楽しいのです。当たり前の感情を持って毎日、過ごしています。大人になった今だからこそ、強く思うのは、幼少期に学校という場で、どれだけたくさん友達との思い出を作るか、ということがとても重要であり、その経験が大人になり、社会に出たときにどれだけ役に立つのか、経験がない私が身をもって感じています。

 現在、私は子育て真っ最中の主婦をしております。話はできます。話せますが、緊張と不安を抱えながら、幼少期に培った本当の自分を隠す癖を未だに直せず、毎日、悪戦苦闘しています。私は、私のような大人を増やしてほしくない。緘黙症で悩んでいる子供に大切な思い出をたくさんつくってあげたいと願っています。

 ですから、私は元緘黙症経験者として、彼ら彼女らの心の声を自分がわかりうる範囲で、周りの大人に伝えていきたいと考えていますし、それが、過去の自分を認めてあげることにつながるのではないかと考えています。

 皆さん、どうか緘黙症の子供の心の声、言葉にならない声に少しでも耳を傾けて下さい。



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