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chieさんのコーナー

2007年9月19日(水)
緘黙との戦い

 私は現在大学三年生です。私は小学校の高学年の二年間緘黙でした。中学入学を機に徐々に治り始めて、現在はかなり克服しています。
 けれども、未だに大勢の前だと意見を言えなくなってしまったり、表情が固まってしまい上手く笑えないなどの後遺症があり、悩んでしまうこともあります。

 緘黙のことをこうして書くのは初めてで、とても勇気のいることですが、緘黙の症状が快方に向かっている今だからこそ、自分と向き合う為にも辛かった時のことを書こうと思います。

 私は、緘黙のことを知ったのは中学生の時でした。図書館の新刊コーナーの心理関係の本に、緘黙のことが載っていたのです。
 それまで私は、家ではお喋りなのに、外では人と上手く話せない自分が異常だと思っていたので、救われたような気持ちになったのを覚えています。

 私は、小学校5〜6年生まで全く学校でお喋りの出来ない「場面緘黙」児でした。
 自分でも、何故全くお喋りが出来なくなってしまったのか良く分かりません。人目が気になりいつしか・・といった感じです。
 私はもともと、幼稚園の頃から大人しく、なかなか自分からは言葉を発しない内気な子でした。
 それだけならまだ良かったのですが、小学校五年生の時にクラス替えがあり、環境ががらりと変わったことに戸惑いを感じ、また、「自分は他人にどう見られているのだろうか」「四年生までの私はどんなだっただろう」などと考えるようになってからは、言葉を発することさえ出来なくなってしまいました。
 高学年の二年間はメモ帳に伝えたいことを書いて過ごしました。あとは身振り手振りだけで意思表示をしていました。笑うこともしませんでした。

 そんな学校生活で一番困ったのは日直になった時です。私の学校では日直が黒板の前へ出て朝礼をすることになっていました。友達とさえ話すことが出来ない私は、人前で声を発することなんて出来る訳がありません。
 そんな私を見かねてか、朝礼の番が何回か回ってきたある日、
「○○さん(私の名前です)が何故いつも朝礼の号令ができないのか考えてみましょう」
と先生が言いました。一時間目の授業は削られ、その議題について話すことになりました。
 私は黒板の前に立たされたまま、溢れそうになる涙を堪えながら真っ赤な顔をして俯いていました。先生は一人ずつ指していき答えさせます。みんなの時間を奪っていることの申し訳なさと、自分でも話せなくなった理由がハッキリしていないのに、それに話したくても話せないのにひどいという気持ち、更には惨めな気持ちで一杯でした。
 そんな大事件がありながらも、なんとか小学校を卒業することになりました(結局二年間話せないままでした)。

 その後、中高一貫の女子校に進学しました。
 この学校では個性豊かな生徒や教師が多く、のびのびと過ごすことができました。
 私はこの学校で、卒業した今でも付き合いのあるかけがえの無い親友が出来ました。彼女たちに救われ本当の自分を見つけることができたのです。
 一年に出来た友達、三年で出来た友達、高校に入ってから出来た友達が合体し、いつしか私は大きなグループの一員になっていました。毎日どこへ行くのも一緒でした。ギャグを言ってみんなで笑い合ったり、イタズラをして誰かをからかったり、みんなで示し合わせて授業をサボったり、色々なことをしました。彼女たちと行動している内に、徐々にのびのびとした何にもとらわれない本来の自分を思い出すことが出来るようになってきました。

 年の近い妹がいるせいか、厳格な両親に較べられることも多く、小さいころから良い子でいなきゃと思って自分を抑圧していた部分もあったのですが、高校時代はそれから解放され、とても自由な気持ちだったのを覚えています。

 私の場合、親がとても厳しく、学校で喋らない(所謂場面緘黙である)ことに理解があまりありませんでした。おそらくただの甘えだと思ったのでしょう。両親は「緘黙」という言葉を今でも知りません。

 本当の自分を見つけることができた一方、「自分らしさ」を表に出すことができず、とても苦しい思いもしました。友達に恵まれながらも、時に孤独を感じていました。こんなに苦しいのは自分だけだ、こんなことで悩んでいるのは私だけに違いない、と思っていました。
 今まで、中学に入ったら変わろう、高校に入ったら変わろうと思っていただけにとてももどかしい思いをしました。多少喋れるようにはなったものの、伝えたいことや感謝の言葉さえ伝えたいことの十分の一も伝えられない・・頭ではたくさん言葉が浮かぶのに、実際口から出ることばは一言、二言の簡単な言葉。それが辛くて、自分がこんなになったのは親のせいだと心の中で責めたり、「分かってくれるだろう」と周りに頼ったり、もう自分は一生口下手なのかもしれないと泣いたり、時には上手く話せない、笑えない自分に嫌気がさし、暗い気持ちに飲まれ、リストカットもしました。

 高校卒業後に一年浪人をしますが、この時に飼うことになった犬によって更に変化がもたらされることになりました。犬仲間と話す機会が多くなり、話すことに抵抗を感じなくなったのです(好きなことなので私も沢山話ができます)。また、いつもそばにいてくれる・・そんな心強い家族が居てくれるだけで自分自身も強く生きていける気がするのです。
 緘黙だった私の心を解いていったのは間違いなく友達と愛犬でした。

 そこからは自分の努力で自身を変えていきました。結局、私は自分に甘えていたのだと思います。「変わる」んじゃない、「変える」んだ、自分から何かをしなくちゃ何も変わらないんだと決心し、それだけを考えていたところ、徐々に話すことができるようになりましたし、会話をすることに楽しさを見つけることもできるようになりました。

 大学進学当初、親友に言われた言葉がありました。「お喋りにはなれないかもしれない、けど、積極的になることなら出来るじゃない。大人しくても積極的な人って存在感があるよね。お喋りになろうなんて思わずに積極的になろうとすることで大分変われると思うよ。」この言葉には随分助けられました。

 今、私はボランティア、サークル、バイト、恋(!?)に忙しい毎日を送っています。多少の後遺症はありますが、夢(医療関係のお仕事に就くこと)に向かって一生懸命生活しています。自分の思っていることが伝えられることがこんなに楽しいんだ、憧れの人と話が出来るのがこんなに幸せなことなんだ、みんなと意見交換しながら協力しあうのがこんなに楽しいものなんだということが今になって分かりました。今が少し遅い私の青春時代です。

 今、緘黙に悩んでいる方、絶対にあきらめないでください。とても苦しいとは思いますが、必ず幸せな時はやってくるはずです。
 また、もし、緘黙のお子さんを持つご家族の方がいらしたら、絶対に喋らないことを責めないでください。少しでも意思表示が出来たのならどんな小さなことでも良いので褒めてあげてください。きっと自信に繋がっていくはずです。

 最後に、こんな拙い文章ですが読んでくださった方がいらっしゃいましたらとても光栄です。

 「一人でも多くの方に緘黙のことを知ってもらいたい」それが私の願いです。



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