弥生桜の日誌

2013年9月4日(水)
日本緘黙研究会が創設されました
9月1日の特殊教育学会年次大会における自主シンポジウムの後、日本緘黙研究会(仮称)の設立総会が開かれ、同研究会が発足しました。

2010年6月26日(土)
大阪府教育委員会の研修で講演させていただきました
先日6月23日に大阪府教育委員会の実施する研修会で講演をさせていただきました。
私の講演は、特別支援教育担当の先生対象の「障がい理解・啓発推進研修会」という研修会の一コマとして実施されたものでした。
50分と時間が限られていましたが、要点を絞ってお話をできたと思います。
今回の研修会をきっかけに、緘黙症に関する研修会が定着することを期待しています。

2010年3月8日(月)
大阪市教育委員会のセミナーでお話しをさせていただきました
2月25日に大阪市教育委員会が開いている教職員対象の夜間セミナーでお話しをさせていただきました。

夜間セミナーの案内(大阪市教育センター)

夜間セミナーの報告(大阪市教育センター)

大阪市教育委員会の大阪市教育センターというところで1時間半ほど緘黙症の問題や学校の先生方にお願いしたいことをお話しさせて頂きました。

昨年、大阪市教育委員会の先生に緘黙症の問題についてお会いさせていただいたのですが、このような形で多くの現場の先生方にお話しをさせていただく機会を提供して頂きました。

学校の先生の理解こそ緘黙症の子供たちの支援に最も大切だと考えているので、大変ありがたいことでした。

これからも地道に緘黙症の問題を知って頂ける活動を続けていきたいと思います。

2009年9月18日(金)
明日から特殊教育学会大会
明日19日から3日間、宇都宮大学で日本特殊教育学会の第47回大会が開かれます。

私たちのシンポジウムは最終日21日ですが、私は初日から大会に参加します。

初日には、私たちがたいへんお世話になっている先生がポスターセッションで緘黙症に関する研究の発表を行ってくださいます。
本当にありがたいです。


私たちもさらに多くの方々に緘黙症に関心をもっていただけるように、実りあるシンポジウムにしたいと思います。

2009年8月28日(金)
今回のシンポジウムの第一の目的
かんもくの会は、一昨年度の日本特殊教育学会第45回大会(神戸市)と日本行動療法学会第33回大会(神戸市)においてそれぞれ緘黙症シンポジウムを開催しました。
昨年度は日本特殊教育学会第46回大会(米子市)においてシンポジウムを開催しました。

今年度も日本特殊教育学会第47回大会(宇都宮大学)においてシンポジウムを開催します。

緘黙症シンポジウムは同大会の自主シンポジウム59として開催されます。


昨年のシンポジウムでは、従来ほとんど知られることのなかった、成人後に緘黙症の深刻な影響を残して苦しむ人々の存在を、比較的状態の改善している当事者話題提供者が間接的にお話ししました。

今回のシンポジウムでは、成人緘黙症当事者の保護者の方が我が子の状況をお話しされます。

この場合の成人当事者とは、たとえば私のように緘黙症そのものはある程度改善しつつもさまざまな後遺症的な困難を抱えている人たちのことでなく、成人後も子どもの頃からの緘黙症がそのまま継続している人たちのことです。

専門家の間でも、世界的に、緘黙症は子どもの間だけに起こる心理状態であり、「大人になれば治る」と認識されているようです。

しかし、実際は、成人後も場面緘黙症または全緘黙症がそのまま継続し、社会参加ができず、自立して生活することのできない状況の人たちが多数存在することがわかってきています。

このような最重篤と思われる成人当事者から、社会に出ていても緘黙症の後遺症に苦しむグレーゾーンにいる人々まで、成人後に及ぼす緘黙症の実態を知っていただくことが、緘黙症の問題を全面的に解決するために不可欠であると私たちは考えています。

このような人たちの存在を知っていただき、自力で立ち上がれなくなっている人たちや、精神的苦痛に耐えている人たちに対する援助の在り方を考えていただくことが、今回のシンポジウムの最大の目的です。

そして、この事実を正しく知っていただくことが、なぜ子どものうちにできるだけ緘黙症を改善できるように支援をしてあげることが必要なのか理解していただくためにも重要です。

緘黙症の子どもを見ているだけではなかなか将来を予想することができず、どうしても「そのうち治る」と楽観されてしまうケースが非常に多いからです。


緘黙症児・者の支援ために教育関係者や心理臨床の専門家の方々、そして福祉に関わる方々が積極的に支援の手をさしのべていただける願いを込めてシンポジウムを行います。

2009年7月2日(日)
特殊教育学会における緘黙症シンポジウムの開催日決定
特殊教育学会の大会ホームページで大会のプログラムが発表されました。

私たちのシンポジウムは大会最終日の午後に自主シンポジウム59として行われることになりました。

    9月21 日(月) 14:00 〜 16:00
     宇都宮大学峰キャンパス 1353 教室


通算4回目になる今回のシンポジウムは、今後、社会に広く緘黙症の真の実態を知っていただき解決策を考えていただくために特別重要なシンポジウムだと考えています。
しっかりと準備をしたいと思います。

2009年6月21日(日)
「おかあさんのつうしんぼ」
先日、知人から「おかあさんのつうしんぼ」という本を紹介してもらって読みました。
30年ぐらい前に書かれた子ども向きの本です。

緘黙症がこの話のテーマというわけではないのですが、主人公の友達の中に場面緘黙の子が出てきます。

緘黙という言葉は話の中にもあとがきにも一切出てきませんが、その子の行動の描写を読むと場面緘黙に違いないです。

その子はクラスメートや先生の支えで緘黙を克服していきます。
その過程がとても現実的なことに驚きました。

著者自身が昔学校の先生だったとプロフィールに書いているので、もしかしたら実際にあったことを元にしているのかもしれません。

興味のある方はぜひ読んでみてください。


おかあさんのつうしんぼ
 宮川ひろ著 偕成社文庫 630円


2009年5月26日(火)
今年度のシンポジウム
5ヶ月ぶりに日誌を書いています。
前の日誌が12月末の日付で、それから活動が止まっていたというわけではありません。
いろいろめまぐるしく動きがあったので、かえって書きにくかったとでも言いましょうか。

今年も日本特殊教育学会の大会でシンポジウムを開催することになりました。
一昨年の日本行動療法学会大会で開催したシンポジウムも含めて今回で4回目のシンポジウムとなります。

おかげさまで、私たちの声をお聞き届けくださり、緘黙症の問題の解決に向けた取り組みを各所で始めていただいています。

今年も種から出た芽に水と肥やしをやり、さらに根と茎を伸ばせるようにがんばりたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

2008年12月28日(日)
いのちの電話
今日の新聞の一面に「いのちの電話」の職員が不足していて全国で24時間対応できないところが半分程度もあることが報じられていました。

社会人になってから私はいのちの電話に電話をかけたことがあります。

緘黙の後遺症を引き摺って職場の人たちと上手く関わることができず、あまりにも辛くて相談相手もいなくてどうしようもなくなっていたときでした。

しかし、地元のいのちの電話に何度電話をかけても常に話し中でつながったことは一度もありませんでした。
深夜や明け方にかけても一度もつながりませんでした。

地元につながらないので、全国のいのちの電話に電話をかけまくったりもしました。
それでもどこもいつも話し中でつながりませんでした。

たった一度だけ、たしか広島のいのちの電話につながったことがありました。
少々話を聞いてもらうことができましたが、できるだけ地元のいのちの電話に相談してくださいと言われたと思います。

結局、その後も何度か地元のいのちの電話に電話をかけましたが全然つながらないので、いのちの電話に話しを聞いてもらうことを諦めました。

日本での自殺者は毎年3万人以上。
日本人の30人に一人は自殺で死んでいます。

私は永遠に生きたいと思っているくちなので、どんな状況でも本気で死にたいと思ったことはありません。
だから、もう死にたいですと言って相談するつもりはありませんでした。
ただ辛い気持ちを聞いてもらえる相手がほしかったのでした。

しかし、そういう相談相手を見出せるか否かで本当に生死が別れた人たちはおおぜいいると思います。
新聞にも、自殺した人の携帯電話番号からの着信があったものの電話で対応できなかった例が書かれていました。

私は、いつかはかんもくの会が少なくとも緘黙症に苦しむ人たちのためのいのちの電話の役割を果たせるようにしたいです。

2008年12月2日(火)
保護者会員の方々とお会いして
11月27日にかんもくの会の関東集会を開きました。
今回は私の都合で異例の平日の開催だったため、ほとんど勤めていらっしゃる当事者会員の方々は参加できず、私以外の参加者は全員保護者会員でした。

保護者の方々と直接お会いしてお話しをすると、お子さんを心配される気持ちがひしひしと伝わってきます。
なんとかできないものだろうかと必死に考えていらっしゃいます。

しかし、残念ながら緘黙症については有効な支援を受けるための社会資源が他の障害に比べて圧倒的に乏しいのが現状です。
私もお話を聞くことしかできず、なんの支援能力も持たないわが身の無力感をまた味わいました。


保護者会員の方々とお会いしていつも感じることがもう一つあります。

この方々は自分の親とどうしてこんなに違うんだ?ということです。

自分の親だけでなく、私の知る限り、緘黙症の当事者たちの多くは口をそろえて「親にはなにもしてもらえなかった」と言います。

これはすでに結論を出していることですが、緘黙症は最も近くにいる家族にその深刻さを気づいてもらえない特性をもった障害です。(障害とはあまり言いたくありませんが)

かんもくの会の保護者会員の方々だけと接しているとそんな気がしなくなってくるのですが、現実はほとんどの子どもたちはあまり心配してもらえずに放置されていると思います。

緘黙症の当人はどうしてこの苦痛に気づいてくれないのかと親を恨んだりします。

しかし、その苦痛が周囲から見えないのが緘黙症の特性であって、他の障害と最も異なる性質の一つだと思います。

したがって、数ある障害の中でもおそらく従来、保護者団体が存在しなかったのは緘黙症ぐらいではないかと思われます。

しかし、少数派であるとはいえ、子どもの異常を直視し支援を求めて奔走している保護者はいらっしゃる。

そういう人たちは、当事者と同じように、今までお互いの存在を知ることができなかった。
ごく最近になってインターネットが普及したおかげで保護者たちがお互いの存在を知り悩みを共有できるようになった。

保護者の思いは社会を動かす最も強大な力になります。
それは他の障害の例を見ればわかることです。

保護者の方々とお会いすると、緘黙症の問題は必ず解決できると確信できます。

2008年11月19日(水)
心療内科
今日は急に冬が到来したような日です。
バイクで出かけるのにほとんど真冬の着込みをして行きました。

今日は月に一度の心療内科の受診日でした。

3年前に自律神経失調症になって心療内科にかかるようになりました。
治療中の一昨年の3月に状態が悪化してうつ病を発症しました。
それ以来、抗うつ薬と睡眠薬を欠かさず飲んでいます。

幸い、うつ病を発症する前から心療内科にかかっていたので対応が早かったおかげか、順調に回復してもうこの一年余りはうつ病の症状は出ていません。
今は少しずつ減薬をしていっています。

一昨年の春ごろのブログはほとんど病気でのた打ち回っていることばかり書いていたのが嘘のようです。
悪化せずにすんだのは医療のおかげだなぁと思います。

早期治療が大事なのは緘黙症も同じことだと思います。
うつ病と同じほど治療法が確立されることを願っています。

2008年10月3日(金)
緘黙症シンポジウムの小報告
9月19日の緘黙症シンポジウムから早2週間が経ちました。
実りのあるシンポジウムができたと思うので、反省も交えて報告したいと思っているのですが、11月下旬頃まで過密なスケジュール(ほとんど私事)で他に手を回せません。
ですので今、簡単な報告だけしておこうと思います。


シンポジウムの企画趣旨の要旨は次のとおりです。
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タイトル 『緘黙症克服への取り組みのために −成果と問題点−』

1. 昨年の大会において、準備委員会企画シンポジウム「体験者が語る緘黙症の指導体制を巡る日本の実情」を開催させていただいた。

2. 前回のシンポジウムでは、緘黙症の当事者、緘黙児の保護者及び緘黙生徒に関わってきた教師が話題提供者としてそれぞれの立場での体験を語り、緘黙症を巡る諸問題の原因と解決のための方策を研究していただくことを訴えた。

3. 本シンポジウムは昨年のシンポジウムに続くものである。


4. かんもくの会の当事者会員、保護者会員の子ども及びその他の例から、緘黙症の当事者には、大別して、子どものうちにまたは成人後に治る(克服する)人たちと、成人後も緘黙症そのものまたはその二次的な症状を引きずる人たちとが存在することが分かっている。

5. 子どものうちは主に学校などから報告がされるのでその存在が知られる。

6. しかし、成人後は代わりに報告をしてくれる者がいなくなる。

7. 症状が重いほど自ら状態を訴えることが難しくなるのが緘黙症の特性であるために、従来、成人緘黙症当事者の実態は全くと言ってよいほど知られていない。

8. 本シンポジウムの第一の目的は、成人後も緘黙症の影響により社会適応に困難を抱える人々が多数存在する事実、中でも重度の症状に苦しむ人々の存在を知っていただくことである。


9. 緘黙症の子どもは一般的に家庭ではふつうに振舞うので、最も身近にいる保護者(家族)に事態をあまり問題視されていない場合が多い。関知すらされていない場合もある。

10. かんもくの会の保護者たちは成人当事者と直接交流することにより、緘黙症は成人後にも深刻な影響を引きずる可能性がある現実を目の当たりにしている。

11. したがって、なぜできるだけ早く症状が改善するように子どもを支援する必要があるのか理解しており、多くの保護者が子どもの支援を行っている。

12. 本シンポジウムでは、その中で、昨年のシンポジウムで紹介された緘黙児指導書『場面緘黙児への支援』を活用して保護者が主導的に支援に取り組んでいる事例を報告する。

13. 保護者の実践報告より、支援により顕著な成果を得られる一方で、日本の学校環境では保護者に多大な負担が強いられることが明らかになった。

14. 主体的に支援を行う意志をもつ保護者が容易に学校と連携できる環境を整備していただきたい。



15. また、多くの緘黙児童生徒は保護者に危機意識をもってもらえないのが現実なので、教師(学校)が主導するスタイルの支援方法も研究していただきたい。

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私たちがシンポジウムの趣旨に掲げた3つの目的は達成することができたと思います。

@成人後にも緘黙症またはその二次的な残存症状によって苦しむ当事者が数多く存在する事実を知っていただくこと。

A適切な方法に従えば緘黙症は改善することを知っていただくことと、主体的に支援を行う意志をもつ保護者が容易に学校と連携できるような環境の整備をお願いすること。

B現実には保護者に問題意識をもってもらえない子どものほうがはるかに多いので、子どもの緘黙状態をじかに見ている教師(学校)が主導するスタイルの支援方法の研究と普及をお願いすること。



@の目的は緘黙症当事者の話題提供と配付した『緘黙症小体験記集第2集』より、Aの目的は私の話題提供により、Bの目的の具体的な事例は群馬大学教授の久田信行先生の話題提供より伝えられました。


以上の目的に加えて、私自身は明言しませんでしたが、司会者の兵庫教育大学教授の藤田継道先生が、
今まで私たちの前に現れていなかった成人当事者の人たちにどう対応すればよいのか考えなければならない。
と問題提起してくださったので、本当はお願いしたかったことまで伝えてもらえました。

また、指定討論者の上越教育大学教授の加藤哲文先生より成人当事者への支援の大まかな方略を示していただきました。

成人当事者の実態を明らかにして支援方法を研究をしてもらうことは、もちろん私のように大人になってから苦しんでいる人たちが求めることですが、それがひ いてはできるだけ子どものうちに支援をしてあげる必要があることを学校の先生や保護者の人たちに理解してもらうために重要であり、これまで軽視されてきた 緘黙症の問題を解決するための鍵だと私たちは考えています。


以上は企画者のかんもくの会のサイドからの簡単な報告でした。
12月頃に手がすいたらもう少し詳しい報告をしたいと思います。

2008年9月21日(日)
緘黙症シンポジウムが無事終了しました
9月19日のシンポジウムはおかげさまで無事終了しました。

当日手伝っていただいた会員によると、70名の来場者があり、約60名収容の会場に入りきらないので隣の部屋から椅子を借りてきてくれたそうです。

シンポジウムの模様の報告をするつもりですが、取り急ぎ先にアンケートに書き込んでいただいた来場者の方々のご意見、ご感想を緘黙症シンポジウムのページに掲載させていただきました。


次へつながるいいシンポジウムをできたと思います。
報告はまた後日改めて書く予定です。

ご協力と応援をいただいたすべての方々にお礼を申し上げます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

2008年9月17日(水)
緘黙症シンポジウムを明後日に控えて
早くも緘黙症シンポジウム2日前になりました。

昨年は大会準備委員長の藤田継道先生のお取り計らいによって、「大会準備委員会企画シンポジウム」という別格のシンポジウムとして開催させていただきました。

日本特殊教育学会の大会で2回目となる今回のシンポジウムは、一般の「自主シンポジウム」としての開催です。
昨年の会場は300名収容の大きなホールでしたが、今回の会場は定員60名ほどの部屋です。

ですが、ある意味で今回のシンポジウムこそ私たちが初めて自主的に開催するシンポジウムと言えます。

今回のシンポジウムは私たちの主張を社会に訴えて実現するための本当の第一歩と思って準備を進めてきました。

次へ次へと毎年発展していけるシンポジウムとなるようにがんばります。

2008年9月9日(月)
緘黙症小体験記集第2集を発行しました
今日、『緘黙症小体験記集第2集』を発行しました。
緘黙症体験記集のページから無料でダウンロードしていただけます。

目次は次のとおりです。

 1.「緘黙症のまま大人になってしまった娘」(保護者)
 2.「緘黙児だった私と子どもたち」(保護者かつ当事者)
 3.「生きにくさを抱えて」(当事者)
 4.「支援により笑顔になった娘」(保護者かつ当事者)


今回の体験記集は二つの目的をもって制作しました。

一つは、成人後も重い緘黙症状に苦しむ人たち及びその後遺症に苦しむ人たちが多数存在する事実を知っていただくことです。

従来、緘黙症は幼児期から学齢期にかけてのみ特異に現れる症状で、子どものうちにあるいは大人になれば治るものと漠然と捉えられているようです。

しかし現実には、成人後も緘黙症をそのまま持ち越している人たちや、緘黙症の症状自体は薄らいでもその二次的症状として残る対人恐怖などのために社会生活に困難を抱えている人たちが多数います。

本体験記集では、二人の保護者の方に成人後もなお重い緘黙症に苦しむお子さんの状況をご執筆いただきました。

それから、話せない症状は薄らぎ表面上はふつうの社会生活を送っているものの、子どもの頃の心の傷に悩まされ続けながら生きてこられた当事者の方に体験をご執筆いただきました。


本体験記集のもう一つの目的は、適切な支援方法に従った保護者による子どもの緘黙症克服支援の効果を知っていただくことです。

昨年(2007年)刊行された緘黙児指導書『場面緘黙児への支援』のプログラムに従って一年間にわたってお子さんの支援を実践されている方に体験をご執筆いただきました。


緘黙症はけっして子どものうちだけの障害ではなく、人によっては一生にわたって深刻な影響を及ぼす危険を孕んでいることを知っていただきたいと思います。

そして、そのような将来を回避するための保護者の必死の努力とその成果をぜひ知っていただきたいと思います。

2008年9月1日(月)
高2二学期の始業式
9月1日の今日から2学期が始まる学校が多いと思います。

私は高校2年生の1学期に学校へ行くのが耐えられなくなって学校へ行かなくなりました。
不登校ではなくて、学校をやめたつもりでした。

私は高校に入ってから場面緘黙症が始まりました。
高校1年生を緘黙症のまま過ごして終わり、もう定着してしまった緘黙症の態度を変えることはできないと感じていました。
あと2年も異常な状態で学校へ通うと頭がおかしくなると思いました。

そのときはまだ引き返せる気がしていました。

親に「独学して大検を受けて大学に行く」と言って学校へ行かなくなりました。

実際、はじめは通信添削などで勉強をしていました。
けれども、だんだんできなくなってきて独学は難しいことがわかってきました。

やっぱり学校に通わないと大学に行けそうもない。
でも自分の固定してしまった状態では卒業するまで辛い学校生活を送ることになるのは見えている。

どうしようか悩みました。

結局、2学期の始業式から再登校しました。

そして予感したとおり、卒業するまで緘黙の態度を変えることはできませんでした。
自分の抵抗はそのときが最後で、以後は卒業式の日まで心を滅してひたすら学校に通い続けました。
その結果、本当に頭がおかしくなりました。

大学には行けました。
しかし、進学後の人生はある意味で高校生の時よりももっと辛くなりました。

こんな思いをすることになるなら、あのとき再登校しないで本当に学校をやめてしまっていたほうがよかったのだろうか。
そうすれば、まだ正気を取り戻すことができて、進学できたかどうかはわからないけど、自分らしく思いきり生きることができたのじゃないかと考えます。

自分を破壊することがわかっていながら再登校をした2学期の始業式の日の気持ちを昨日のことのように覚えています。

2008年8月25日(月)
場面緘黙症の実態を伝えること
場面緘黙症が社会に知られていないこと、知識をもっている教育関係者や心理職のような人でも正しく認識している人はほとんどいないこと、この現状を覆すには場面緘黙症の当事者が実態を伝える以外に方法はないと思って私はかんもくの会の活動をしています。

「緘黙症は大人になったら自然に治る」
という一般的な誤解があるために緘黙症の子どもの多くはあまり関心をもってもらえません。

たしかに自然に治っていく人もいますが、そのまま大人になって苦しみを抱えて生きている人もたくさんいます。

しかし、大人になってから症状を抱えている人たちの存在は報告されないのでこれまで世間に知られることはありませんでした。

ですから、場面緘黙症について真剣に考えてもらうには、大人になって苦しみを抱えている人たちの存在を明らかにすることが重要だと考えています。

大人になっても場面緘黙症の二次的な後遺症や場面緘黙症そのものを抱えて苦しんでいる人がたくさん存在することが知られれば、「そのうち治るでしょう」というような安易な気休めや楽観論は誰も言えなくなるはずです。

そして、子どものうちはまだ学校などで適切な支援を受けられる場合もありますが、大人になっても苦しみを抱えている人たちに対する支援の方法については、そもそも存在が知られていないからおそらく全く研究されていないと思われます。

私たちは、子どもに対する支援と同じほど大人の当事者に対する支援対策も必要だと考えています。

「大人になったらたいてい治る」といった発言を絶対にしてもらわないようにするために、今回の緘黙症シンポジウムでは緘黙症の成人当事者の実態をまず伝えます。

2008年8月17日(日)
かんもくの会の弱点
かんもくの会の最大の弱点は当事者の私が一人で代表を務めていることだと思っています。

かんもくの会には当事者と保護者が集まっています。

ですが、私は子供を育てたことはないので、どう想像力を働かせても保護者の代弁者になることはできません。

それに代表と言っても、会社で昇進するように人の評価を受けて代表になったのではなくて、自分で活動を興したからはじめから代表なのです。

私は場面緘黙症になって辛酸を味わった当事者の一人であって、別に優れた人格を備えているわけではありません。
むしろ普通の人よりも精神的な成長は相当、遅れていると思います。

しかし、代表と名乗っているからには、他人からはやっぱり人並み以上の度量や知識を求めてこられます。
私はそれに全く応えることができていません。
もっとふさわしい人に代表を代わってもらわなければならないといつでも思っています。

けれども、代表であるかぎり無責任なことはしてはいけないのでなんとか今からでも成長しようと努力しているつもりです。

それでも、どう頑張ろうが、自分は保護者の立場に立つことはできません。

本当は、私のほかにもう一人、子どもの緘黙症の支援を成功させ子育ても一通り終えたような人が共同代表にいてほしいと望んでいます。
しかし、かんもくの会の保護者会員は全員子どもの支援の真っ最中の人たちです。

かんもくの会が真の意味で保護者を支援する能力をもつにはあと10年はかかると思います。

2008年8月13日(水)
かんもくの会2周年
今日8月13日でかんもくの会は設立2周年になりました。

正確に言うと、かんもくの会のホームページを公開して会員の募集を始めたのが8月13日で、活動はその前から始めていました。

最初は私ともう一人の場面緘黙症当事者の二人だけでした。
おかげさまで会員に恵まれて2年間活動を続けてこられました。

よく3年継続できるかどうかが勝負と言われるので、あと1年しっかり頑張りたいと思います。

かんもくの会を興した当初と比べて2年経った現在では活動の趣旨や方針が変わったり、より具体的になったりしています。
ホームページや会則には設立当初に考えた趣旨や目的をそのまま載せているので書き直さないといけないなと思っています。

これからもどうぞよろしくお願いします。

2008年8月11日(月)
場面緘黙症当事者会員の集会
先日大阪で、かんもくの会の当事者会員だけが集まる集会を催しました。
場面緘黙症の当事者だけの集会は今年1月に初めて開いて、今回は2回目でした。

かんもくの会では発足した一昨年から関西で保護者も当事者も交えた集会を開いてきました。
今年は足を延ばして東京と名古屋で集会を開きました。

しかし、同じ会員でも当事者と保護者では入会している思いが全然違います。

当事者と保護者といっしょに集まると、人数が多いとたいていよく話しをする保護者たちの間のペースで場が進みます。
自分も含めてですが、場面緘黙症の症状を引き摺っている当事者は居心地があまりよくありません。

それで、当事者だけの集まりを試しにするようになりました。

初回と今回とも、メンバーは違いますが、参加したのは3人でした。

3人とはいえ、緘黙症の当事者だけで会うことは重要なことだと感じました。
けれども人によって症状の重さが違ったりするので、当事者同士で会うことにも難しさがあると感じました。

これからもときどき当事者集会を開いて当事者一人一人にとってそれがどんな意義があるのか確かめたいと思っています。

2008年8月1日(金)
緘黙症シンポジウムのシンポジスト
今年9月19日の特殊教育学会年次大会における緘黙症シンポジウムは、群馬大学教育学部障害児教育講座教授の久田信行先生と共同で企画させていただきました。

久田先生は話題提供者として、通常学級の担任の先生に専門家として緘黙児童の支援方法を助言し、担任の先生が支援に取り組んだ事例を報告されます。

支援の基本は『場面緘黙児への支援』と同じ行動療法的アプローチを用いていますが、基本は同じ発想でも、個々の子どもの実態に応じて多様な対応があること、また、通常学級の担任の支援が非常に有用であることを報告されます。


司会者は、昨年も共同企画者兼司会者を務めていただいた、兵庫教育大学大学院教授の藤田継道先生です。


指定討論者は、行動療法的アプローチによる緘黙児治療の経験を豊富にお持ちの上越教育大学大学院教授、加藤哲文先生です。

加藤先生は1989年に刊行された『子どものかかわり障害(内山喜久雄・筒井末春・上里一郎 監修 小林重雄編/同朋舎)』という書籍の「選択性緘黙」の章を執筆された方です。
同書では、行動療法を場面緘黙児の治療に適用したプログラムを解説しています。


話題提供者は、久田先生のほか、場面緘黙症経験者の山本洋子さんと私です。

山本さんには大人になってからも後遺症に悩まされたご自身の場面緘黙症の体験をお話ししていただくとともに、あまりにも症状が重く自ら状態を訴えることのできない人々の状況を代弁者としてお話ししていただきます。

私は、子どもの緘黙症克服支援に取り組む保護者の方々の状況をお話しします。
保護者によって支援のスタイルはいろいろですが、支援を始めてから一歩一歩前進をする様子が伝えられています。

しかし、成果だけでなく、支援の障壁となるいくつかの問題点も浮かび上がってきています。
どうすればそれらの問題点を解消して少しでも保護者や教員の方々の負担を軽減することができるのか、いっしょに考えていただきたいと思います。

実りあるシンポジウムにしたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

2008年7月20日(日)
シンポジウムまで2ヶ月
9月19日の日本特殊教育学会でのシンポジウムまでいよいよ2ヶ月を切り、緊張感が高まってきました。

慌てず、粛々と準備を進めます。

2008年7月1日(火)
今日から代表に復任
今日から代表に復任させていただきました。

今年は当会にとっていろいろと正念場を迎える年です。
しっかりと活動を進めていきたいと思います。

2008年6月27日(金)
代表に復帰します
私は一昨年、会員二人でかんもくの会を結成して、インターネットにホームページを公開しました。

そのときから代表を務めてきましたが、実務だけに専従したいと考えて、今年の3月1日に代表を交代してもらいました。

しかし、実際は仕事に忙殺されて活動に専念することのできない新代表の状況や今後のことを検討した結果、やはり自分が代表を名乗って活動を進めなければならないと考え直しました。

そして、事情を会員に話し、代表に復任させてもらうことになりました。

7月1日付けで代表に復任します。

活動を興したときの初心を忘れず、場面緘黙症と全緘黙症を巡る問題を全面解決するまで代表の責任を全うする所存ですのでよろしくお願いします。

2008年6月17日(火)
名古屋集会を開きました
6月14日に名古屋でかんもくの会の集まりを開きました。
3月30日に東京で集まりを開いたのに続いて、関西以外の地域での集まりは二回目でした。

保護者会員と当事者会員と合わせて6人の方とお会いすることができました。

名古屋には車で行きました。私の自宅から3時間足らずで行けるので日帰りで十分集まりを開けます。

インターネットではどうしてもコミュニケーションの手段が限られるので、掲示板などによく書き込んでもらう特定のメンバーの状況しかわかりにくくなります。
ですから、今回の集まりも東京のときと同じようにとてもよかったです。

遠方の会員の方々にじかに会える機会をこれからも積極的に作りたいです。

2008年5月13日(火)
シンポジウムの申し込みを完了
昨日、今年の日本特殊教育学会第46回大会緘黙症シンポジウムを開催するための申し込みを完了しました。

去年は大会準備委員会企画シンポジウムという特別の待遇を受けてシンポジウムが実現しました。

今年は自分たちで申し込んで行う自主シンポジウムなので、申し込んでから開催を認められるのを待つ必要があります。

でも認められないことはまずないと思うので開催決定です!

緘黙症シンポジウムは大会期間の9月19〜21日のいずれかの日に割り当てられます。
開催日時の詳細が通知されたらまた報告します。

去年のシンポジウムでは、緘黙児の保護者、学校の教師、そして緘黙症の当事者がそれぞれの体験を語り、緘黙症の問題解決のための研究を推進してもらうことを訴えました。

今年からはいよいよ具体的な緘黙症支援の取り組みの報告を行います。

大人になっても深刻な影響を残す緘黙症の現実を知っていただき、緘黙症克服の取り組みに教育関係者や心理臨床の専門家の方々が積極的に支援の手をさしのべていただける願いを込めてシンポジウムを行います。

2008年5月1日(木)
サイトの引越し完了
今日5月1日、予定通り当サイトの引越しを完了しました。

URLアドレスが変わったので、旧サイトをブログなどでリンクしていださっている方や、ブックマークしてくださっている方は、新しいアドレスへの変更をお願いします。

新しいアドレスは http://asmjapan.org/ です。

これからもどうぞよろしくお願いします。

2008年4月24日(木)
5月1日に一般公開サイトの引越し
1週間後の5月1日にかんもくの会の一般公開サイト(当サイト)の引越しをします。

一般公開サイトは一昨年2006年8月13日に私の実家の契約しているプロバイダのサービスを利用して開設しました。
それと同時に会員の募集を始めました。
趣旨に賛同して入会してくれる人が現れるのかな?とまったく未知の出発でした。

それから2年近くたちました。
幸い会員も増え、緘黙症の問題を解決するための活動を今後も継続していく自信を得ました。

そこで先日、かんもくの会の独自ドメインを取得しました。
そして、制限の多い実家のプロバイダからもっと容量が大きくていろいろな機能を使えるレンタルサーバーにサイトをまるごと引越しさせます。

URLアドレスが変わるので、当会のサイトをブックマークしてくださっている方やブログなどからリンクしてくださっている方はアドレスの変更をお願いします。

新しいアドレスは http://asmjapan.org/ です。

引越し先ではさらに内容を充実させる予定です。
これからもよろしくお願いします。

2008年4月18日(金)
特殊教育学会年次大会での緘黙症シンポジウム開催決定
昨年に続き、今年も日本特殊教育学会の年次大会緘黙症シンポジウムを開催することが決定しました。

今月はじめごろまでにシンポジウムの趣旨や話題提供の概要をだいたい固めていましたが、それにふさわしいシンポジストが全員確定しました。

おかげさまで今年は2年目としてとてもよい趣旨でシンポジウムを開催することができそうです。

特殊教育学会の大会では一般の方も一日臨時会員として当日参加費3千円を支払えばシンポジウムへご来場いただけます。

9月に向けて鋭意準備を進めます。
今年もがんばります。

2008年4月9日(水)
今年も緘黙症シンポジウムを開催
昨年、かんもくの会は日本特殊教育学会第45回大会(2007年9月24日)と日本行動療法学会第33回大会(2007年12月2日)において緘黙症シンポジウムを開催しました。

今年度も両学会の年次大会でシンポジウムを開催する方向で検討してきた結果、趣旨や話題提供の概要がだいたい固まりました。

今年の特殊教育学会年次大会は、9月19日(金)〜21日(日)に鳥取県米子市の米子コンベンションセンターで開催されます。
行動療法学会年次大会は、11月1日(土)〜3日(月祝)に東京の日本教育会館で開催されます。

緘黙症シンポジウムは期間中のいずれかの日に開催します。
日時などの詳細が決定するのは数ヵ月後と思われます。決定次第、お知らせします。

今年も内容の濃いシンポジウムにしたいと思います。

2008年3月28日(金)
ゆきんこ新代表
かんもくの会では3月1日に代表を当会創設者の私、弥生桜からゆきんこ会員に交代しました。

ネット上に氏名を公表することには危険を伴うので、当初、新代表のプロフィールには実名を記載していませんでした。
しかし、やはり代表が匿名では会の顔が見えないと考え直し、本日から氏名を公表しました。

ゆきんこ代表のプロフィール私のプロフィールをご覧いただくとお察しがつくと思いますが、ゆきんこ代表は私の妻です。
私たちは3月3日に結婚したばかりです。

彼女とは私が当会を立ち上げる前にブログを書いていた頃から知り合い、交際を続けていました。
私の活動をずっと傍で支えてきてくれたので、会の目的をいちばんよく理解しているパートナーでもあります。

実務の大半はまだ私が行っていますが、少しずつ新代表に仕事を委譲しています。

彼女は、「自分はかんもくの会と結婚したのと同じことです」と言ってくれました。
緘黙症の問題を解決する目的達成のために終生をともにしてくれる覚悟です。
彼女と出会えたことを心から感謝しています。

新代表のゆきんこはこのような人です。
これからもどうぞよろしくお願いします。

2008年3月20日(木)
場面緘黙Q&A届きました
3月15日にかんもくネットさんの制作された『場面緘黙Q&A(学苑社)』が発売されました。

発売当日に早速注文して今日届きました。
これから読ませてもらいます。

こうして緘黙関連の書籍が増えて、せめて書店の書棚一段分を緘黙の本で埋めるぐらいになることを願っています。
ジュンク堂なんかに行くと自閉症関連の本だけで書棚二つ分、その他の軽度発達障害関連の書籍だけで書棚一つ分も席巻してますから悔しいです。

これで緘黙症を社会に知ってもらう運動がさらに盛り上がることを期待しています。

2008年3月13日(木)
代表の交代
2月から3月はじめにかけて、来年度に始めるプロジェクトの準備にかかりっきりで日誌が途絶えていました。

私は3月1日に代表を退任し、会のまとめ役を後任の新代表に託しました。
自分は後方に回り、実務に専念します。

かんもくの会では、2月に専門部門を発足してから会員たちの自発的活動が非常に活発になっています。

とくに『保護者会発足準備会』では3月9日にはじめての会合を開催しました。
今までの活動はだいたい私が提案してお手伝いをしてもらっていた形ですが、9日の会合は保護者会員の方々から発案され、私はそれに招かれたような感じでした。

私はこれからは自分にできる後方支援に専念して、会員の皆さんのお手伝いをする立場でありたいと思います。
主役は会員の皆さん一人一人なのですから。

2008年2月25日(月)
第2フェーズの活動が活発化
昨年の翻訳書発行、2回のシンポジウムをクリアし、かんもくの会の活動は第2フェーズに入っています。
2月8日に会内に「保護者会発足準備会」、「行動療法実践研究会」、「特別支援教育・障害福祉研究会」、「当事者会研究会」、その他の部門を発足させてから、会員の動きが俄かに活発になってきました。
保護者会発足準備会では最初の会合を行う段取りが進行しています。保護者会員方が自発的に集まってきてくださっています。
行動療法実践会では、「場面緘黙児への支援」の実践をいち早く開始し目覚ましい成果を挙げている方を中心に、お互い情報交換したり悩みにアドバイスしたりしています。
行動療法実践会内ではある大きなプロジェクトの準備を進めています。近日中に一般へ向けてスタートさせる予定です。

2008年2月19日(火)
当事者の思いと他者の認識の間の乖離
2月4日の日誌の続きです。

緘黙症の当事者の立場からすると、どうして自分のことをもっとちゃんと考えてくれないんだ!?と不満に思うのは当たり前だと思います。

私は30歳を過ぎて初めて緘黙症という言葉を知り、自分が当事者だったことを知りましたが、今までの辛い人生はいったいなんだったんだ?と腹が立ってしょうがありませんでした。

それで、どうして当事者が自分自身の障害を知らずに苦しみ続けるようなことが起きるのか原因の追究を始めました。

そして、緘黙症に関心をもっている研究者がいない、行政が全く対策を講じていないという2大原因を突き止めて、この人たちに怒りをぶつけるようなことをブログにいっぱい書きました。

けれども、ではなぜ研究者にも行政にも関心を持たれないのか、その源までもっと考えたのは最近のことです。

行動療法学会のシンポジウムが終わった直後に話題提供者を務めていただいた会員さんたちとお話ししているときに、教師の立場で話題提供をしてくださった方から「犯人探しをしたらあかん」と言われたのがきっかけでした。

その方は教師のお立場で、「問題を知っているのにそれをほったらかしにしているならそれは悪いことだが、目だって悪いことをしたりしない緘黙生徒はふつう問題と思われない」と仰られました。

私はそのときは仰られた意味がよくわからず、「なんでやねん!という怒りが私の活動の原動力です。怒らなくなったら私は活動する動機がなくなります」と言いました。

でも、教師から見える緘黙児童・生徒の姿、そしてなにより保護者団体が存在しないという事実などを考えると、誰も悪い人はいないという結論に達しました。

発達障害、肢体不自由、不登校、引きこもりなどなど子どもの問題を共有するための大小さまざまな保護者の集まりがあります。

そんな中で緘黙症だけ保護者の集まりがないとはどういうことか?

私はブログで何度も自分の両親の態度の冷淡さを訴える記事を書いてきました。
その方向で考えると、緘黙症の子の保護者は特別愛情が足りない人たちばかりなので今まで保護者団体もできなかったという結論になります。

しかし、どんな子どもの保護者も平均すれば皆同じのはずです。

ということは、保護者に問題があるのではありません。

そしてやっと、緘黙症が放置されている理由は「緘黙症そのものの特徴のためである」という認識に到達しました。

緘黙症の苦しみを経験していない人にはなんのこっちゃと思われるかもしれませんが、当事者の私がこのように認知を改めるのはとても難しかったです。

2008年2月10日(日)
会内の役割分担化
かんもくの会の活動の最終目的は、場面緘黙症及び全緘黙症を巡る諸問題を全面的に解決することです。

かんもくの会では、活動を拡大してそれらを円滑に遂行するために、会員による役割の分担化を模索してきました。

その結果、この度、次の部門を会内に発足させました。

●保護者会発足準備会
●行動療法実践研究会
●特別支援教育・障害福祉研究会
●当事者会研究会


保護者会発足準備会は、緘黙症の保護者会発足を目指して準備を行う役割を担います。

行動療法実践研究会は、行動療法及び認知行動療法による緘黙症治療を実践するための互助会的役割を担います。

特別支援教育・障害福祉研究会は、教育・福祉行政に緘黙症対策を明確化して実行してもらうために必要な知識を勉強します。

当事者会研究会は、緘黙症の当事者会のあり方などを話し合って試行する役割を担います。


いずれも当会の掲げる最終目的を達成するためのお膳立てをするために不可欠の活動です。
各部門は有機的に連携して機能を果たします。

各部門の活動の一部はすでに始まっています。

かんもくの会のホームページにそれぞれの部門のページを開設しました。
それぞれのページで活動状況を報告します。

今までの当会の活動はどちらかというと偉い先生方のご厚意に甘えて実現したものでしたが、これからはいよいよ私たち自身の力で勉強して、自らを助けるとともに社会に対してアクションを起こしていきます。

2008年2月4日(月)
場面緘黙症が放置されている責任は誰にあるのか
このタイトルの問いに対する答えは、
「場面緘黙症が放置されている責任は誰にもない」
だと思います。

私は場面緘黙症の問題を考え始めてからしばらくは、怒りをぶつける相手を探すという態度でいました。

場面緘黙症の人たちはとても辛い思いをして生きているのに、どうして社会的にこれほど無視されているのか?
「それは、責任を果たそうとせずに怠慢をしている人がいるからに違いない」と思い込んで、その犯人探しに私は躍起になっていたのかもしれません。

けれども、かんもくの会の活動を始めてから、保護者、教師、教育相談員、研究者などいろいろな立場の人たちと知り合って話しをするうちに、緘黙症がほかの障害に比べて極端に認知度が低く放置されているのは誰のせいでもないということがわかってきました。

私の結論を言うと、場面緘黙症が放置されている原因は、
「場面緘黙症とはそういう特徴をもった障害である」
ということに尽きます。

一般的に、場面緘黙症の子たちは、周囲の人たちにあまり迷惑をかけないし、家庭では普通に振舞っている、本人は苦しい毎日を送っているがそれを自分で訴えることがなかなかできない、したがって将来この子はどうなるのかという危機感を周囲の人に感じてもらいにくい。

それを最もよく表しているのが、日本に緘黙症の保護者団体のようなものが存在しないという事実です。

他の障害にはたいてい保護者団体があります。
全国に支部のあるような大規模な保護者団体でも、初めは子どもの行く末を案じる保護者たちが問題を共有して解決しようと自発的に集まって生まれてきたものだと思います。

すると、緘黙症の保護者団体が存在しないということは、最も近くにいる保護者でも子どもの将来を憂える人たちは非常に少ないということを意味しています。

これは、他の障害をもつ子どもの保護者たちに比べて、場面緘黙症の子どもの保護者たちに特別愛情や想像力が欠けているからというわけではありません。

最も近くにいる保護者にさえその深刻さを感じさせないのが、場面緘黙症の大きな特徴であるためです。

たいていの保護者は子どもの将来を楽観視しているでしょう。

おそらく、大人になっても引きこもり続けるなど目に見える形で症状が残存した場合にかぎり、保護者は自分の楽観視が間違いであったことに気づくのではないかと思います。

精神的な辛い後遺症を抱えながらも社会に出られている人や結婚できた女性の保護者は一生子どもたちの本当の姿を知ることはないのではないでしょうか。

誰が悪いわけでもなく、場面緘黙症とはそういう性質を持った障害なのだと思います。

2008年1月23日(水)
かんもくの会当事者会員の集まり
先日、大阪でかんもくの会の当事者会員だけの集まりを催しました。
これまで何度か会員の集会を開きましたが、当事者会員だけで集まるのは初めてでした。

同じ当事者といっても状態は人によって全然違います。
そういう人たちを一堂に集めてどんな意義があるのだろうかと会を立ち上げる前から考えていました。

活動を始めてから1年あまり、おぼろげながら、なにかの意義はあると感じています。

今回の集まりをはじめ、当事者が集う意義をもっと追究するために、これからもいろいろな試行をやってみたいです。


緘黙症者はとても苦しいのに、よほど注意を向けなければ他者にとってその内面を理解することは難しく、本人が一人で問題を抱え込んでいる場合がほとんどだと思います。

自閉症などの他者に認知されやすい障害と非常に異なる性質があります。

成人後も深刻な問題を引きずる人がたくさんいるにもかかわらず、これまでに保護者団体のようなものが日本に存在しなかった事実を考えると、保護者や教師の立場からの自発的な取り組みを期待することは今後もできないと思います。

緘黙症の問題を解決するためには当事者が大きな役割を果たす必要があると考えています。

2008年1月21日(月)
2008年度の緘黙症シンポジウム
かんもくの会では2008年度も日本特殊教育学会日本行動療法学会の年次大会でそれぞれ緘黙症シンポジウムを開催する方向で考えています。

特殊教育学会年次大会は、2008年9月19〜21日に鳥取県の米子コンベンションセンターにて開催されます。
http://www.edu.shimane-u.ac.jp/jase46sanin/

行動療法学会年次大会は、2008年11月1〜3日に東京の日本教育会館にて開催されます。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jabt/page7_1.html

もし決定すれば、緘黙症シンポジウムはそれぞれの大会の期間内のいずれかの日に開催します。

これからまた準備が始まります。
今年も有益なシンポジウムが開催できるように頑張りたいと思います。

2008年1月7日(月)
今年は健康に
前回の日誌では、昨年は一気に丘を駆け登ったような一年だったと感想を書きました。
たしかに一年終わってみるとそういう気がしましたが、よく思い出すと、「一気に」とはちょっといえない登り方でした。
何度も落とし穴にはまっては這い登りしてました。

とくに初めての大きなイベントだった特殊教育学会でのシンポジウムは、1年近くも前から準備する時間があったのに、どんでん返しの連続で本当に薄氷を踏むような感じでした。
いったん決まったことが何度も覆り、予稿提出期限のぎりぎりまでどうなることやら冷や汗かいてました。

また、昨年の7月頃までは一昨年の春に発病したうつ病から回復する途上の波状曲線の極小地帯に落ち込むことがまだあったので、病気が再発しないかとびくびくしていました。
とくに7月は1ヶ月間ぐらい寝込み、9月のシンポジウムはどうなるかと思いました。

幸いそれを最後にうつ病的な落ち込みはこれまでのところ収まっています。
服薬治療は続けていますが、もう大丈夫なんじゃないかなと自分では思っています。

今年は健康に過ごしたいと思います。

2008年1月5日(土)
新年の丘
新年あけましておめでとうございます。

昨年は、ブログを書き始めた頃から助走してつけた勢いと応援者の方々が背中を押してくれる力とで一気に丘を駆け上ったような一年でした。

12月2日の緘黙症シンポジウムの後は少々休んでいます。

丘を登れば次の丘がまた待っています。

今年も頑張りたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。 

2007年12月27日(水)
最新の緘黙症治療法は日本にあった
かんもくの会の正式名称は「日本へ最新の緘黙症治療法をもたらす会」です。

設立時は「緘黙児を支援する会」と名乗りましたが、実際に支援する能力はないので、誤解を与えないように会の目的そのものを表した名称に変えました。

最新の緘黙症治療法とは、欧米で発達して普及しつつある「行動療法に基づいた緘黙症の治療法」のことです。

日本では1990年ごろから緘黙症に取り組む研究者が絶えているために、海外の最新の緘黙症治療法を日本へ導入する人がいない。だから、いつまでたっても緘黙児は効果のあまりない従来の治療法しか受けられない。
専門家が海外の治療法をもたらしてくれないなら、私たちの力でもたらして普及させようというのが当会がはじめに掲げた目的だったので、それがわかるように今の正式名称に変更しました。

現在は手段を修正しながら活動しており、私たちは治療法の導入、普及を行う主体となるより、主に保護者、当事者の立場から然るべき相手にそれを実行してもらうように訴えるという方針で動いています。
けれども、行動療法による緘黙症治療法を日本に普及させるという目的は総合目的の一つとして変わっていません。


ですが、日本でも行動療法に基づいた緘黙症治療法はすでに20年ぐらい前に開発されていました・・・ということが先日の行動療法学会のシンポジウムのときにわかりました。

シンポジウムで共同企画者となっていただいた小林重雄先生がすでに治療のための具体的な指針を与えておられました。

それは、1989年に出版された「子どものかかわり障害(小林重雄編/同朋舎)」という本の第3章にしっかり書かれています。

小林先生はシンポジウムの冒頭で、『場面緘黙児への支援』をざっと読みましたが、自分の書いたことから特に新しいことはありません」と仰いました。


そうすると、私たちの会の名前はちょっと変かな?と思っています。

日本にも元々「最新の治療法」=「行動療法に基づいた治療法」が存在するのだから、会の掲げる目的を少々変えるべきでしょうか。

私たちは
日本ですでに開発されているのに普及していなかった緘黙症の効果的な治療法をこれから普及させてもらう会
とでも名乗りなおすべきでしょうか?

2007年12月19日(水)
次のステージへ
2回のシンポジウムを無事終えたことによって、当会としては目的達成のための第一ステージをクリアしたと考えています。

当会の目的は、
緘黙症を抱える子どもたちと後遺症に苦しむ人々に対する効果的な支援方法を普及させ、もともと特別支援教育の対象とされているにもかかわらず全く実体のなかった緘黙症の支援対策を国家的に制度化させること、並びに後遺症に苦しむ人々に対する支援体制を整わせることです。

日本では1990年頃から緘黙症の研究に専門的に取り組む研究者が絶えた状態が続いています。
その間に欧米諸国では行動療法及び認知行動療法に基づいた緘黙症の支援プログラムの研究が飛躍的に進歩して普及しつつあります。
日本には緘黙症に注目している研究者がいないので、海外の先進的潮流は全く入ってきていません。

このような現状を打破するために、まず、海外の最新の緘黙児指導書を翻訳して出版していただくことができました。

特殊教育学会でのシンポジウムにおいては、主に教育関係者に対して緘黙症の当事者と経験者の抱える苦しみを理解していただき、他の障害と同様の支援対策が必要であることを訴えることができました。

行動療法学会のシンポジウムにおいては、主に行動療法及び認知行動療法の専門家に対して緘黙症の研究が置き去りにされている現状を訴え、解決のための具体的な提言をいただくことができました。

これらに先んじて、2001年より5年間、衆議院文部科学常任委員会筆頭理事を務められた平野博文代議士のご協力により、行政に対して直接私たちの要望を伝えていただくことができるようになりました。

緘黙症の専門家がいないという今の学術界の状況では、国が直ちに対策を打ち出してくれても効果的な支援を受けられる場がほとんどないので時期尚早だと思います。
将来、緘黙症の最新の知識と治療法を身につけた人材が誕生・拡大して受け皿が整った時に、当会は国に対して緘黙症への手厚い支援策を明確化させて実行してもらう運動を開始することにしています。
私たちはすでに行政へ働きかける強力なルートを得ているので、一から訴えを起こすより早期に実現してもらうことが期待できます。
当会が訴えた緘黙症の支援対策は平野代議士の預かり案件としていただいており、必ず成し遂げることを宣言していただいています。

以上の成果によって、緘黙症を巡る諸問題の解決のための種まきの作業を一通り終えることができたと考えています。

これより当会は次のステージへ歩を進めます。

次のステージの最大の目標は、行動療法学会におけるシンポジウムで提言されたプロジェクト群を早期に実現していただくことです。

中でも、
行動療法や認知行動療法による緘黙症の治療を実施してもらえる相談機関のリストアップはすぐにでも実行できることであり、保護者や教師が最も欲している情報です。
その情報提供を求めることを次の活動の最優先課題としています。


2007年12月14日(金)
緘黙児の代弁者2
前回の日誌と同じことを自分のブログにも書いていたところ、コメントをいただきました。
コメントは同じ場面緘黙症の経験者の方からのもので、自分自身が体験を語ることによって「やるせない」気持ちを味わったことに共感していただきました。

その方は「話をし過ぎたんじゃないか」という後悔に似た心境になるのでは、というふうに私の心情を推察してくださったのですが、私が感じた気持ちはそういうものとは少々違いました。

そこで、改めて「やるせない」とはどういう気持ちだったのか書いてみます。

やるせない気持ちになったというのは、話をし過ぎたというより、正確に体験を伝えるなら、たった15分程度の時間で語りきれるものではない。自分の辛さはそんなに簡単に説明できるものではない。中途半端な話を聞かせるぐらいならなにも教えないほうがましだという気持ちからだったと思います。


聴衆にしっかり聞こえるように少しゆっくりめに15分話すと、だいたい4500字前後の量になります。

話題提供の原稿を書着始めた時、まず緘黙の体験について書いた過去のブログ記事を時系列的につなぎ合わせてみました。
すると、それだけで15分で話す量の20倍ぐらいになりました。


私が今までブログで書いた体験談でさえ、自分の心に焼きついている記憶のほんの一部でしかありません。
それをさらに20分の1に圧縮する作業はたいへんでした。

これを抜かしては自分の心にぱっくりと開いた傷口の痛みを理解してもらうことはできないというエピソードを泣く泣くいくつも削りました。

最終的にできた原稿はそれなりに簡潔にまとまったものになりました。
けれども、それを読み上げて聞かせても、全然自分の真実を伝えた気がしませんでした。

学会のシンポジウムでの話題提供ですから、聴き手にとっては問題となるポイントが掴めればそれでよいのだと思います。
たとえば、先日の行動療法学会のシンポジウムならば、最低、私がいくつか通った相談機関ではどこも場面緘黙と言われたことがなかったし、カウンセリングなどによって心が癒されたこともなかった、という事実を提示できればよいわけです。

しかし、いくらそのことは承知していても、ほんの一瞬一瞬をとびとびにつなぎ合わせただけの話で私の緘黙の体験の何が分かるのか?という気持ちがしました。
見知らぬ人たちにそんな話をするぐらいなら何も知られないほうがましだと思いました。



ところで、元々予定していた方がやっぱり話題提供をすることはできないと訴えてきたのはシンポジウムの3,4ヶ月ぐらい前のことなので、土壇場でキャンセルしたわけではありません。

そもそも、去年シンポジウムの開催が決まった時点ではまだ会員の数が少なくて私自身が話題提供者になる予定にしていました。

しかし、私は高校からの発症という稀なケースのために、幼少の頃からの緘黙の経験を語ることができないので話題提供者としてあまりよくないなと思っていました。

その後、当事者会員が増えてきたのでその方々に登壇を打診して代わってもらったのです。

登壇に応じてくれた方は若い女性で、緘黙の体験はまだ過去の思い出ではなく、心には生々しい傷口が開いていていると思います。
そのような方に酷なお願いをして悩ませたことを反省しました。

緘黙症経験者が過去を語るのはある程度改善した人が一人一回ずつするだけでもう十分結構だと思いました。


緘黙症の心理メカニズムを熟知している先生方でも、本人の抱える内面の苦しみの大きさまで知っている様子は窺えませんでした。

だからこそ経験者が教えなければならないのですが、15分はあまりにも短かったです。


今後また緘黙症の体験を語る企画をするのならば、今度は一人の体験が十分に伝えられるようなものにしたいと思います。

語るなら気の済むまで徹底的に語るほうが本人にとって後味の悪い思いをさせなくていいし、聴き手も緘黙症の辛さをもっと深く理解できるでしょう。

2007年12月8日(土)
緘黙児の代弁者
先日の行動療法学会でのシンポジウムでは、はじめに場面緘黙経験者の立場で話題提供を予定していた方に代わって私自身が話題提供をしました。

シンポジウムの申し込みをした後に、人の前で過去のことを語ることがとても辛く不安だと本人が訴えてきたので、無理はしてもらわず、共同企画者の先生の了解をとって私に話題提供者を代えてもらいました。

そして、私は初めて人の前で自分の体験を語りました。


緘黙症が軽視されている最大の理由は、緘黙者の抱える苦しみが全くといっていいほど知られていないことだと私は考えています。

「無口で大人しいだけの子」、「大人になったら自然に治る」というような誤解を覆すためには、当事者が話して本当のことを聞かせるしかありません。

けれども、緘黙児は緘黙児でいる間は自分で自分の気持ちをうまく伝えることができません。

一見大人しいだけに見える子が内面にどれほど大きな苦しみや葛藤を抱えているか、そして成長期の間に克服できなければ大なり小なりその後の人生に辛い影響を残すということを認識してもらうには、大人になってある程度状態が改善した私たちのような者が代弁者となって教えるしか方法はないと思い、私はかんもくの会を立ち上げました。


しかし、望んでいたことにもかかわらず、実際に自分が代弁者となって緘黙の体験を語って聞かせると、それはあまり気持ちのいいことではありませんでした。

シンポジウム中は集中しているので淡々と原稿を読み上げるだけでしたが、シンポジウムが終わって帰宅してから、なんともいえないやるせない感情が湧いてきました。


自分で主張してやりだしたことですが、今後も経験者に過去を語らせるような企画はどうかと思いました。


いつもいつも過去のことばかりに目を向けているのは正直言って辛いです。
代表がこんなことを言ってはいけないのかもしれませんが、ときには緘黙症という言葉をしばらく忘れていたいのが本音です。

2007年12月2日(日)
実り多きシンポジウムになりました
行動療法学会のシンポジウムから帰りました。
来場者数は72名だったと終わってから係の人から教えてもらいいました。

今回のシンポジウムでは学会員の先生方から具体的な提言をいただきたいへん実りのあるものになったと思います。

いくつかの提言や提案の中で最も強調されたことは、
「緘黙症の適切な治療を受けられる場所を提示するなど、情報を共有するシステムを学会として作ろう」
ということでした。
この提言でもって全会一致のような雰囲気で幕を閉じたようなものでした。

また、緘黙症治療の参考になる本を、基礎編、事例編、展開編と3種類出すべきだと指定討論者の先生が提言されました。

緘黙症の支援を学会として取り組むべき課題にすると宣言していただけたシンポジウムであったと言っていいでしょう。

私たちとしては、企画の目的は十分すぎるほど達成できたと思います。

場面緘黙症・全緘黙症を巡る問題解決のための重要なこまをまた一つ進めることができたと思います。

今後は学会と連携して緘黙症の支援体制の構築を進めていけると思います。
そのために、かんもくの会として貢献できる役割はなんであるか考えます。


後日またシンポジウムのもう少し詳しい内容や自分の感想などを書きたいと思います。

2007年12月1日(土)
明日はリラックスして
今日、明日の緘黙症シンポジウムのリハーサルを行いました。
全員まずまずOKという感じです。

明日は午前8時に三宮駅に集合して会場へ向かいます。

特殊教育学会のシンポジウムではたいへん気が張っていましたが、明日はリラックスして臨みたいと思います。

2007年11月30日(金)
明日はリハーサル
今日から3日間の日本行動療法学会年次大会が始まりました。

かんもくの会のシンポジストたちは、明日リハーサルを行います。

前回の特殊教育学会でのシンポジウムのリハーサルは本番1週間前に行いましたが、今回は日程の都合で前日となりました。

がんばります。

2007年11月29日(木)
明日から行動療法学会年次大会開幕
明日30日からいよいよ行動療法学会の年次大会が始まります。

今回は会場の下見には行きません。

私たちの緘黙症シンポジウムは最終日12月2日の午前10時からです。

行動療法の先生方の活発な議論を呼ぶ内容の濃いシンポジウムにしたいと思います。


2007年11月22日(木)
緘黙症シンポジウムin行動療法学会10日前
いよいよ行動療法学会のシンポジウムまであと10日となりました。

前回のシンポジウムは準備にかなり余裕があり、粛々と進めているといった感じでした。

けれども、今度は違って、もうぎりぎりであわてふためいてばたばたと駆け込みという感じです。
これで本番にベストコンディションで行けるのかなあと心配です。

共同企画者の小林重雄先生は30数年前に行動療法学会を創設したその人、指定討論者の園山繁樹先生は小林先生の薫陶を受けた直弟子にして筑波大学における小林先生の後継者です。
両先生からの提言は学会員に大きな影響を与えると思います。
行動療法の専門家や学生の中から緘黙症の研究に取り組む人が現れることを切望します。

いいシンポジウムにしたいと思います。


2007年11月18日(日)
退職記念日
去年の昨日11月17日に会社を退職しました。
それからもう1年たったとは不思議です。

会社を退職したときは、もちろん経済的な不安がありましたが、それよりもほっとした気持ちのほうが強かったです。

仕事とかんもくの会の活動を両立させることは体力的に実際上不可能だったので、どちらかを消さざるを得ませんでした。

どちらが自分にとって納得できる道かというと、それははじめから会の活動でした。
20年たってよくやったと振り返られるのは、緘黙症の支援体制を日本に作り上げる活動に身を投じるほうに決まっていました。

1年たってみて、実際に目に見える形で成果をあげ始めることができ、これだけでも1年前の選択は正しかったと思えます。

かんもくの会設立からまだ1年3ヶ月で、何のサポート体制も情報もない状態にもかかわらずご入会くださった会員の皆さんや、外部から応援してくださっているたくさんの人々に心から感謝しています。

これからもどうかよろしくお願いいたします。


2007年11月18日(日)
それでも特殊教育学会におけるシンポジウムは成功
最近3回にわたって特殊教育学会におけるシンポジウムの反省点ばかり書きましたが、全体としては私たちが訴えたかったことはほとんど訴えることができたので成功であったと考えています。

とくに、最も重要なこと、即ち、
一見大人しいだけに見える緘黙者が本当はとてつもない苦しみを内面に抱えていることを知ってもらえたことがなによりの成功です。

緘黙症が他の障害に比べて軽視されている最大の理由は、
緘黙者の苦しみがほとんど知られていないことだと考えています。

学校では無口で大人しい子として扱われ、家ではふつうに話すから家族もあまり困らない。
そのため、実数に比して相談件数が極端に少なく、どこの国でも緘黙症の研究者は少ないです。

緘黙の子どもの苦しみは大人になった経験者が代弁者となって教える以外に方法はないと思っていました。
ですから、その大きな機会を与えた下さった学会にたいへん感謝しています。


もう一度繰り返しますが、特殊教育学会でのシンポジウムが成功したと言えるのは、なにより緘黙症の人が抱えるとてつもない苦しみを聴衆の皆様に確実に伝えることができたからだと思います。

それは、まだ緘黙の影響が残っているけれども勇気を出して人前に出ることのできるちょうどぎりぎりの程度の話題提供者による、淡々とした語り口ながらもずっしりと重みを湛えた体験談と、質疑応答でしっかりと自分の思いを述べたその方自身の真摯な人柄のおかげだったと思います。

単に緘黙症は辛いという事実を述べるだけでなく、感動という要素をシンポジウムに加えることができました。
私もこれほど感動を呼ぶとは予想していなかったので、驚きました。
感動という要素が加わったためによりいっそう緘黙症の真の苦しみが伝わったのだと思います。

アカデミックな学会におけるシンポジウム、とくに次回の行動療法学会におけるシンポジウムにおいて感動を与えることは必要ないかもしれませんが、前回のシンポジウムの成功を見て、人の心を動かすのはやはり情に頼る面が大きいと思いました。


先日、「場面緘黙児への支援」の著者のアンジェラ・マクホルム博士に特殊教育学会のシンポジウムの成功をご報告すると非常に喜んでくださいました。
また、今度の行動療法学会のシンポジウムも成功を祈っていますと応援をいただきました。

博士は現在、今月2回行う緘黙症治療のワークショップの準備のためにお忙しいとのことです。
ワークショップに対する関心は高く、保護者、教育者、言語療法士、心理学者、ソーシャルワーカーといった様々な方面の人々から参加予約を受けているとのことです。

日本でも早く博士のような人材が現れることを期待して行動療法及び認知行動療法の先生方や学生の方々に私たちの願いを伝えたいと思います。


2007年11月4日(日)
特殊教育学会における緘黙症シンポジウムで強調されたもう一つのメッセージへの注釈
今回もまた、企画者ながら特殊教育学会におけるシンポジウムに物言いをします。

特殊教育学会における緘黙症シンポジウムでは、もう一つ大きなことが強調されメッセージとして発せられました。

それは、
「緘黙症の克服には、早期発見、早期治療が重要である。」
というメッセージです。

これは当たり前のことですが、あまりにも強調されすぎました。

あの場は教育関係者が聴衆の多数を占めていたので、上記のメッセージが強調されたことは当然といえば当然のことでした。

高校よりも中学校のうちに、中学校よりも小学校のうちに、小学校のうちでも低学年のうちに、さらには、幼稚園、保育園のうちに、就園前に・・・



しかし、シンポジウムへご来場くださっていた主に保護者の立場の方々の一部には、上記のメッセージは逆に絶望感を与えてしまったことが後でわかりました。


それはかんもくの会の一人の保護者会員からの声でわかりました。

その会員は小学校高学年の場面緘黙症のお子様をお持ちの方です。


その方はシンポジウムにご来場くださっていたのですが、シンポジウムでのメッセージを聞いて、
「うちの子はすでに緘黙症の支援を受ける適齢期を過ぎているのでもうだめなんだ」
と思い込んでしまわれていたのです。


このことを知ってたいへんショックを受けました。

確かに、幼いうちに治療を受けるほど改善が早くて効果が高いですが、緘黙児・生徒への支援は中学生でも高校生でも十分可能であると「場面緘黙児への支援」の著者のマクホルム博士から直接伺っています。

概ね17歳までの年齢の子どもに対しては支援が可能であり、どの年齢においても支援方法の基本は「場面緘黙児への支援」による行動療法及び認知行動療法に則った方法と同じであるとのことです。

ただ、高年齢になるほど改善はゆっくりとしたものになり時間がかかるということです。

中学や高校に入ったらすぐに治ったとか、少しずつ治ったという人もたくさんいるので、必ずしも高年齢では時間がかかるとは言えないかもしれませんが、一般的には当たり前のことだと思います。


このように、高年齢の子どもでも支援は可能であるのに、せっかくシンポジウムにご来場いただいた保護者の立場の方々にはまずい先入観を植え付けてしまったと申し訳なく思っています。

シンポジウムの提言の内容についても、もっとよく打ち合わせをして練っておくべきだったと反省しています。


ただ、低年齢の子の治療のほうが容易なので先に確立されて、高年齢の子の治療については低年齢ほど容易にマニュアル化できるものではないことは仕方がないと思います。

海外においても高年齢対象の治療方法の研究は精力的に取り組まれている途上のようです。

高年齢になるほど、行動療法、認知行動療法に熟練した専門家に支援してもらう必要が一層高まると思います。



海外では「場面緘黙児への支援」のような緻密な一般向け指導マニュアルが著されるぐらいなので、行動療法に則った低年齢児対象の支援プログラムは非常によく研究され充実してきていると思います。


ですから、日本の研究者にこれから求めるべきことは、早期治療はもとより、あらゆる発達段階に対応した支援プログラムの研究に力を入れてもらうことであると考えています。



早期治療については、海外の研究成果をありがたく拝受して日本の教育制度や精神風土に応じてアレンジするのが早いと考えています。


次回の行動療法学会におけるシンポジウムでは、
緘黙症に最も有効な心理療法は皆様のご専門の行動療法や認知行動療法であることをご理解いただき、
早期治療はもちろんのこと、
あらゆる発達段階に応じた緘黙症の治療方法の研究に取り組んでいただくようにお願いすること
を主たる目的とする予定です。


2007年11月2日(金)
特殊教育学会における緘黙症シンポジウムからのメッセージ
前回の日誌では特殊教育学会における緘黙症シンポジウムから発せられたメッセージに、企画者ながら批判をしました。

そのメッセージとは、
「緘黙症の克服を成功させるには、保護者が主体となり、学校、専門家と連携した三位一体の支援が不可欠である」
というものでした。

これは、シンポジウムにご来場くださっていた保護者の立場の方々には妥当なメッセージだったと思います。

シンポジウムにわざわざご参集くださった保護者の方々は全員子どもの緘黙症治療に熱意を持っている人ばかりだからです。

公表はしていませんが、保護者の立場でアンケートを書いてくださった方々の住所を見てびっくりしました。
私たちのシンポジウムを聴きくためにたいへん遠方から来られた方が何人もいました。

だから、あの場では保護者の方々に上記のメッセージを持って帰っていただいたことはよかったと思います。



ただ、一般論にはならないということを言いたいのです。

とくに、同じシンポジウムの場であっても、聴衆の多数を占めた教育関係者の方々にはメッセージをそのまま受けとってもらうと、先に保護者の理解を求めることに躍起になってしまい、緘黙児に柔軟な対応をできなくなるのではと心配したのです。


学校の教師が先に子どもの緘黙状態に気づいて保護者に報告し理解を求めるケースの方が現実には多いと思います。

しかし、それを保護者がどの程度重く受け止めるかはわかりません。

どんなに一生懸命説得しても、保護者の中にはどうして自分たちが子どもの支援に主体的に取り組まなければならないのかわからない人たちもいると思います。

なぜかと言って、多くの場合、緘黙状態は学校でだけ起こっているからです。

学校で起こっていることは学校に責任があるから学校が主体的に取り組んでもらうのが当然と考える人もいるでしょう。

だから、シンポジウムからのメッセージは一般論にはならないと思うのです。

保護者が取り組むのを待っていては子どもはどんどん成長していきます。

だから、保護者への説得が難しい場合は、それはそれで継続するとして、子どもへの対処は保護者抜きででも始めればよいと思います。

実際、それで緘黙症が治ったケースもたくさん聞いています。


一番問題なのは、学校にも保護者にも放っておかれている緘黙児・生徒をどのようにして見つけ支援してあげるかということだと思います。

私自身は、結局、学校の先生方に遍く緘黙症の知識を知っておいてもらうことが必要であり、そのために、教員の義務研修の中に緘黙症のメニューを必須化させることが解決になると考えています。

しかし、それが実現するには、まず学術界に緘黙症研究が根付いて人材が拡大し、それから教育行政が動かなければならないので、何年もかかるでしょう。


その間の中間的対策を考えなければなりません。

少なくとも、自らSOSを発している子をキャッチして学校、保護者に代わってまず理解を示してやれるような仕組みが必要だと思います。

とても難しいことですが、実行可能な方策を考えたいと思います。


2007年10月29日(月)
特殊教育学会における緘黙症シンポジウムへの反論
2007年9月24日に日本特殊教育学会年次大会において開催した「緘黙症シンポジウム」は盛況のうちに幕を閉じ、300名近い来場者の方へ緘黙症の支援を訴えることができました。


しかし、私は企画者ながら、同シンポジウムにおいて強調され、一見もっともらしく、誰もが納得して持って帰っていただいたメッセージに大いに反発します。

それは、
「緘黙症の克服を成功させるには、保護者が主体となり、学校、専門家と連携した三位一体の支援が不可欠である」
というメッセージです。

これは、先般刊行された「場面緘黙児への支援」による指導方法を実践するための大前提でもあります。


しかし、それは最も理想的な支援形体に過ぎません。


このホームページをご覧いただいている方々には関係のないことかもしれませんが、
現実には我が子の緘黙症の治療に熱意をもって主体的に取り組もうとする保護者のほうが少ないと思います。

すると、シンポジウムからのメッセージによると、心ある保護者に恵まれなかった緘黙児は絶対に救われないことになります。




私はそんなことはないと思います。


保護者に共感能力がなく頼りにならないのなら、

保護者の代わりになる存在があればいいのです。



そのような存在になるのに最も適したのはどのような人でしょうか?


それは私たち緘黙症の経験者だと思います。


私は、保護者の無理解に苦しむ子たちのために、緘黙症経験者による支援ネットワークを作ることを提案します。



完全に保護者の代わりを務めることはできるわけはありません。


けれども、自分が身をもって経験した苦しみだから想像ではなく実際に共感できるし、保護者に代わって支援のための基礎固めを援助することはできると思います。

支援のための基礎固めとは、学校へ理解を求めることや、緘黙症の有効な治療を実施してもらえる相談機関を紹介することなどです。

そして、子どもの気持ちを聞く役になってあげることです。



親に理解を促しても、理解しない親はいつまでたっても理解しません。

そんなことに時間と労力を浪費するぐらいなら、そのような保護者は支援陣から除外したほうがましだと思います。


子どもが安心して駆け込める避難場所を確保する方策を考えたいと思います。


2007年10月23日(火)
次の緘黙症シンポジウム
9月の日本特殊教育学会年次大会での「緘黙症シンポジウム」に続き、今度は12月2日に日本行動療法学会年次大会において「緘黙症シンポジウム」を開催します。

大会の開催場所は特殊教育学会と同じ神戸国際会議場です。

今度のシンポジウムは自主シンポジウムとして行います。
会場は90人程度収容の大学の講義室のような部屋です。

司会者は共同企画者でもある名古屋経済大学の小林重雄先生、指定討論者は前回のシンポジウムと同じ筑波大学の園山繁樹先生です。

話題提供者は、緘黙児の保護者、緘黙生徒を見てきた教師、緘黙症の経験者の3名です。

行動療法学会でのシンポジウムの狙いは、緘黙症の治療法についてより学術的で具体的な議論を喚起することにあります。

規模こそ違え、前回と同様或いはそれ以上に重要なシンポジウムです。

かんもくの会設立時に掲げた目的を達成するための第一段階の総決算として準備を進めています。

9月のシンポジウム以来、ちょっと休ませてもらっていた気を引き締め直しています。


2007年10月4日(木)
緘黙症シンポジウムを終えて
2007年9月24日、日本特殊教育学会年次大会において開催した「緘黙症シンポジウム」はおかげさまで無事終了しました。


開催前は、同じ時間帯に10も別々のセッションがあるから、100人でも来場してもらえればいいと思っていました。

でも、もしかしたら緘黙症のシンポジウムは珍しいから150人ぐらい聴きに来てもらえるかもしれないし、次の行動療法学会でのシンポジウムもあるので、当事者と保護者の体験記を収録した「小体験記集」を多めに見積もって200部あまり制作していました。

ところが、始まってみると、神戸国際会議場の約300席ある国際会議室は、見た感じでは八割から九割ぐらいの聴衆で埋まっていました。


終了後に、撤収のために配付物を置いてあった会場入り口前のテーブルへ行くと、多めに作っていた小体験記集は全部なくなっていました。


共同企画者ならびに指定討論者の先生方、シンポジウムの開催にご協力と応援をいただいたすべての皆様、話題提供者の役割を見事に果たしてくれた会員の人たちのおかげでシンポジウムは成功しました。

特別支援教育に関わる多くの方々に、緘黙症に苦しむ子どもや大人の実像と、子どもに有効な支援を受けさせることができない保護者のもどかしさを知ってもらうことができたと思います。


シンポジウムがきっかけになって緘黙症の研究が盛んに行われるようになることを念願しています。


シンポジウムに対する反響はかんもくの会のホームページに掲載させていただいたアンケートの回答から窺えると思います。
どうぞご覧になってください。








ところで、私的なことですが、シンポジウム当日まではエネルギー満々で、ベストコンディションで本番に臨んだのですが、終了後2日ぐらいしてから急に心身の状態がおかしくなり、週末までほとんど寝込んでいました。

週明けから状態が回復しはじめ、今日やっとシンポジウムのことを日誌に書くことができました。



今まで自分の中の「緘黙」に意識を集中して活動をしてきましたが、実際はそれだけが自分の生活のすべてではないので、そのことばかり考えるのはしんどいです。

本音を言うと、しばらく「緘黙」という言葉を忘れていたいです。


当分ゆっくりしたいと思います。


2007年9月22日(土)
シンポジウム会場の下見
今日22日、日本特殊教育学会の大会が開幕しました。

私は午前中からシンポジウム会場の下見に行ってきました。

ポートライナーに乗って行くと三ノ宮から市民広場駅まで12分ぐらいで着きました。
駅から国際会議場までデッキで直結していました。

だいたい三ノ宮駅から会場内に入るまで30分程度かかりました。

指定討論者を務めていただく先生にお会いして1時間ほど本番の打ち合わせをしました。
先生とは初対面でしたが、電話での印象どおり、控えめでとても温厚な方でした。

大会へ参加する学会員は2000人ぐらいだと聞きました。
緘黙症シンポジウムと同じ時間帯には他に9つもセッションがあります。
はたして2000人の参加者のうち緘黙症に関心を持って来場してくれる人はどのぐらいいるでしょうか。

けれども、大会のプログラムを見れば分かるように、私たちのシンポジウム以外、何百とあるポスター発表やシンポジウムなどの中に、「緘黙症」をテーマにしたものは一つもありません。
特別支援教育の専門家が集まる大会だというのにこの有様です。
いかに「緘黙症」がないがしろにされているか分かります。

私たちのシンポジウムが一石を投じ、来年の大会では何件かでも緘黙症をテーマにした発表が出ることを念願して本番に臨みます。


2007年9月15日(土)
シンポジウムを控えて
まもなく緘黙症シンポジウム開催の日を迎えます。
シンポジウムは大勢の方々のご協力のおかげで実現します。
準備はほぼ整っています。

シンポジウムの開催が決まったのは去年の10月のことでした。

そのときはまだ1年も先のことで実感が湧きませんでしたが、準備は明日からでも始めたほうがよいと複数の方々からアドバイスをいただきました。

そんなに早くから・・・と思いましたが、いま振り返ってみればそれは実に的確なアドバイスでした。

アドバイスどおりすぐに話題提供者の募集を始め、本番の何ヶ月も前に準備を完了できるように余裕を持ってスケジュールを立てていました。

ところが、いったん決まったことが途中で何度も何度も覆り、だんだんのんびりと構えていることができなくなってきました。

結局、シンポジウムの申し込み直前までどんでん返しの連続ですったもんだしました。

ですが、そこからはだいたい順調に準備作業を進めてくることができました。

どうぞ本番をご期待ください。


2007年8月13日(月)
かんもくの会設立一周年を迎えて
今日で「かんもくの会」の設立一周年を迎えました。

正確に言うと、活動は去年の5月頃から始めていて、二人だけの会員でホームページを立ち上げたのが8月13日です。

私は緘黙症の傷跡のために今でもかなり人付き合いが苦手です。
そんな自分がボランティア団体を立ち上げて代表を務めることなんてできるのかととても不安でした。
しかし、自分がやらなければ他に誰がやるんだという思いのために炎の中に飛び込む気持ちで会員の募集をはじめました。

はじめは、ホームページを見て入会してくれる人などいるのだろうかという不安もありました。
だから、まもなく初めて入会希望のメールが送られてきたときは嬉しくてしかたがありませんでした。

集まってくれた方々のおかげでシンポジウムを開催することもできるし、これからも声を合わせて社会へ緘黙症の問題を訴えることができる。
夢に描いていても一人では絶対にできなかったことが実現できます。

勇気を出して当会を立ち上げて本当によかったです。


実は私は自分自身がこの一年でとても変わったと感じています。

それまでの自分は、緘黙である反面、話せる場ではえらそうで居丈高に振舞うようなことがしばしばありました。
そのせいで、せっかく入会してもらった会員の方に不愉快な思いをさせたり困らせたりしたことが何度かありました。

そんな自分が4月頃から変わってきました。
自分の狭い心のために、せっかく入会してくださった会員の方々が窮屈な思いをしていることに気づいてきました。

それがわかるようになってきたのは、私の心が開いてきたからだと思います。

一年前は、志をもって仲間を集めようと当会を立ち上げたものの、心の奥底ではどうしても拭いきれない人間不信を抱えていたと思います。
会員を集めても、自分ひとりで活動をしているつもりになっていました。

けれども、会員の皆さんや外から当会に協力をしてくださる方々と触れ合ううちに、ようやく自分が今までお山の大将だったことを思い知りました。

こんな自分でも心ある人たちに支えられていることを実感したとき、ありがたくて胸から熱いものがこみ上げてきました。

そして初めて、ひとりひとりの人を大切にしなければと思えるようになりました。
活動を始めてから私個人にとって最もよかったことは、活動の成功よりも、人に対する信頼感を取り戻すことができたことだと思います。


会の運営についてこの一年間でいちばん悔やまれることは、会員の方々に横のつながりを作ってもらう場をあまり提供できなかったことです。

とくに、遠方の会員の方々に申し訳なく思っています。
関西では何度かオフ会などを催しましたが、それ以外の地域の方とは会えませんでした。

また、新入会員の方にもあまり丁寧な配慮をすることができませんでした。

二年目はこれらの問題をまず是正することを目標にしています。

活動については、一年目は結果的に表向きに目立つ企画遂行が中心になりましたが、二年目は地に足をつけて緘黙症の認知を訴える草の根的な活動に力を入れたいと考えています。

これからも応援よろしくお願いします。


2007年8月5日(日)
かんもくの会設立に至るまでのブログ記事
今月13日で当会設立一周年になります。
私にとっては信じられないほど早く過ぎた1年でした。

当会は急にひらめいて始めたわけではありません。

かんもくの会を作る以前から私はブログでこのような組織の必要性をときどき書いていました。

ブログ「ほんとうは暖かい光が好き」を書き始めたのはちょうど2年前。
それから1年後の当会設立までの心の準備を綴った記事をピックアップして紹介します。

1.2005年8月6日 「なぜ?
2.2005年8月8日 「僕の場面緘黙は亜種」 
3.2005年8月19日 「緘黙症に関する本」 
4.2005年8月21日 「緘黙症の支援
5.2005年9月9日 「緘黙症の支援2
6.2005年9月14日 「反省
7.2005年9月17日 「アメリカの緘黙児保護者団体SMG-CAN
8.2005年9月17日 「エリザ・シポンブラム博士−米国緘黙児保護者団体を指導する中心人物
9.2005年9月19日 「衝撃の事実 ここまで見捨てられているか緘黙症
10.2005年9月22日 「場面緘黙症が理解されていない事情は世界共通
11.2005年10月2日 「65歳で初めて自分が場面緘黙症と知る
12.2005年10月8日 「アメリカで進む場面緘黙症研究
13.2005年10月8日 「その引き出しを開けろ!
14.2005年10月9日 「緘黙症の人口は日本に24万人、世界に1200万人!
15.2005年11月12日 「やっぱり精神科医は場面緘黙症を知らない
16.2005年11月13日 「場面緘黙症の研究成果広がる!
17.2005年11月14日 「自分はどうしたらいい?
18.2006年2月8日 「緘黙を治すための指導書
19.2006年2月14日 「緘黙を治すための指導書2
20.2006年2月18日 「緘黙を治すための指導書3
21.2006年2月19日 「河井先生への手紙
22.2006年2月20日 「緘黙を治すための指導書4
23.2006年3月10日 「ブログを綴る理由
24.2006年6月10日 「緘黙指導書の翻訳に協力
25.2006年7月18日 「元緘黙児の気持ち
26.2006年8月5日 「ブログ開設一周年
27.2006年8月13日 「緘黙児を支援する会 設立メンバー募集

以上です。
ピックアップしてみれば27編もありました。
お暇なときにでも少しずつ読んで下さると嬉しいです。


2007年8月5日(日)
寄稿文集コーナー新設
昨日、当サイトに新しく「寄稿文集コーナー」を設けました。

これはブログなどを持ってない人でも、自分の体験や意見を表明できる場を提供する目的で作りました。
また、使用の許諾をいただいた文章を当会が制作する予定のいろいろな媒体で使用させてもらうデータベースともなります。

緘黙症のことを広く社会に訴えるための強力なツールになることを期待しています。
たとえば、まず最初の用途は、9月24日の緘黙症シンポジウムにおいて聴衆の方々に配付する体験記集です。
寄稿文集コーナーに集まった文章の中から6篇ほどを収録する予定です。

非会員の方からの声を届けることもできるので、たいへん発信力のある媒体を作ることができると思います。
寄稿文集コーナーをどのぐらい活用してもらえるか楽しみにしています。


2007年7月22日(日)
書店で『場面緘黙児への支援』を発見!
アマゾンで『場面緘黙児への支援』の注文受付をしていたと思ったら、発売日にはすでに在庫切れになっていたのでびっくりしました。

ヤフーショッピングの方では「入荷お知らせ」と表示されていて、これで注文するとすぐに入荷してくれるようです。
実際、私が注文すると翌日に入荷したとメールで連絡して来ました。

在庫切れがないのは田研出版の直販システムだけでしょう。
けれども、このシステムは配達までの日数に少々むらがあるようです。
出版社は土日祝休みなので、休み中に注文してもすぐに配送手続きをしてくれないようです。
それでも一番確実に入手できるのはここですね。

あ、それから今日ジュンク堂へ行って探してみたら、障害児教育のコーナーに『場面緘黙児の心理と指導』とともに一冊だけ置いてました!
一冊しか置いてないのはなんでじゃと少々不満がありましたが、とりあえず大書店にはもう入っていることは分かりました。


便利なアマゾンにはいつ入荷するのでしょうか…

2007年7月19日(木)
アマゾンでは品切れ
「場面緘黙児への支援」がアマゾンに登場したと思ったらあっという間に品切れになってます。
最初だから試しに少ししか取り寄せていなかったのでしょうか。
次に入荷されるのはそれほど日数はかからないと思います。
今度はもっと大量に入荷するかもしれませんね。

在庫切れがないのは田研出版の注文システムだけでしょう。
そりゃ当たり前か。
田研出版で在庫切れとなるときは初版完売となるときでしょうか。

早く完売すると嬉しいですね。
そして、アマゾンで中古本に法外な値がつけられる前にすぐに第二刷を出してもらいましょう。


2007年7月13日(金)
久しぶりに日誌を
しばらく日誌が途切れていました。
その間に公私共にめまぐるしい変化がありました。
(私の場合公とはかんもくの会の活動のことです。)

大きなニュースというと、
「公」では、7月10日についに翻訳書の刊行となり、去年蒔いた種がまず芽を出しました。
これが多くの方々に活用されることにより茎が伸び、、本当に子どもの緘黙症が治ったという報告を聞いたとき初めて花が咲いたと喜びにあるれるでしょう。

「私」では、5月に実家から独立して転居しました。
活動拠点を変えることによって、これからの長期計画をやりやすくするためです。
ようやく新しい環境にも馴染んできたところで、「公」の活動も快適にできるようになりました。

今年はこれから年末に向かってまだまだ大仕事が目白押しです。

どうか応援よろしくお願いします。


2007年3月14日(水)
4月に向けて
緘黙の会の会員は現在23名。

私の見積もるところでは、当会が掲げる目的実現のためのプロジェクトを同時にすべてスムーズに遂行するには、会員が100名ほどいなければならない。
そのうち、少なくとも正会員は20名は必要です。
そして、役員は3名は必要です。

私一人で切り盛りするのはもう限界に来ているので、いくつかの仕事は正会員の方々にお任せしたり、賛助会員の方々にもお願いしています。

会員数の少ない今ではこうせざるを得ないのです。

4月からはきちんとしたボランティア団体の機能を充実させていく計画です。
たとえば、会報を定期的に出す、当会のパンフレットを作る、募金活動を始める、などなど。
いろいろ4月までに決定しないといけないことが山積みです。

加えて、私はいま、いよいよ出版の決定した翻訳書をできるだけ速やかに学校や専門家に周知させるための下地をこしらえる活動に奔走しています。
毎日、いろいろなところに電話をかけ、メールを出し、アポイントメントを取り、出かける、意見を聞くなど、とにかく可能性のあることは徹底的に追求しています。

やはり、あと二人は対等に議論しあえる役員がほしいですね。三人寄れば文殊の知恵。私一人の小さな頭ではすぐに考え付かないアイデアをどんどん出して実行することができる。

会員数100名…いつか達成できるでしょうか。
翻訳書の出版が当会に人を引き付けてくれることを期待しています。

すでに問い合わせのメールで翻訳書に対する反響がきはじめています。

やはり、翻訳書のPRを早期に実現できてよかった。
実績を示して当会の活動の意義を理解してもらうことがやっとできました。

ますます緘黙症治療法の周知を図っていきますので、これからもよろしくお願いします。


2007年3月7日(水)
4月より当会をきちんとしたボランティア団体として整備します
本日、大阪ボランティア協会というNPO団体や任意団体などのボランティア団体の支援を行っている施設へ行き、来月4月から当会をきちんとしたボランティア団体として整備する相談をしてきました。

当会はまだ会費や会費徴収の方法も決まっていないし、賛助会員と正会員の役割の区別が曖昧だったりするので、それらのことを明確に決めるために多くのボランティア団体をサポートする専門家に相談に行ったのです。

とくに、会費についてはみなさん関心が高いと思います。
専門家にアドバイスを受けた結果、いまのところ、上級の会員ほど会費を高く設定する方向で考えています。

本日、主に相談させてもらった事項は次のとおりです。

1.会員の区分とその役割のあり方について
2.適正な会費の額の見積もり方
3.会費の徴収方法(とくに匿名会員の場合)
4.会への募金方法(実名、匿名の場合)
5.役員(代表と対等に議論できる能力を有する人物)の募集方法

正式な事項が決まり次第、会員の種類や会則をアップデートしていきます。


2007年3月2日(金)
伝えたかったこと
長い間お伝えしたかったことを、ようやく、お伝えすることができました。

翻訳書の出版が確定した安堵感で、これまで張り詰めていた緊張からやっと解放されました。

緘黙の会の出発点にして、はじめから秘密企画を余儀なくされたこと。
それにもかかわらず、当会が最も早くアピールしたかったこと。
それがやっと叶いました。

いま困っている人たちを一刻も早く支援すること・・・それが私の一番大きな願いでした。
私の思いがやっと伝えることができました。

サンプルページを数ページ読ませてもらいましたが、素晴らしい翻訳文です。

発売はまだ先ですが、どうか楽しみにお待ちください。


2007年2月22日(木)
学校への草の根活動
先日、Yahooのボランティアコーナーに当会を登録することを検討するために、当会と似た活動をしている団体がどれほど登録されているか調べていました。

すると、私の近くの町で、主に自閉症などの発達障害児を対象に週に一回、応用行動分析(ABA)の方法を使って勉強を教えている団体を見つけました。

早速、その団体の代表者に電話をかけ、お話しを伺うと、その方は実は現役の小学校の養護教員でした。
ですから、緘黙症のこともよくご存知でしたし、これまでにも緘黙児の指導をしたことがあったそうです。

しかし、他の障害と違って、やはりまともな書籍や指導ガイダンスがないので、指導の仕方ににいろいろ迷われたようです。
その先生は、現在、夜間大学院に通っておられ、臨床心理士を目指しておられます。


私は、教師に緘黙症の情報を与えられる公的な機会がほとんどないことをお教えしました。そして、その現状を解決するために当会が活動していることを説明しました。

先生は当会の目的をよく理解してくださり、養護教員のお知り合いなどを通じて当会の活動を呼びかけてもよいと仰っていただけました。

私は、この先生と知り合えたことを足がかりに、草の根的に学校現場への緘黙症の理解の浸透を図れないか模索し始めました。

学校の中でも、緘黙症を含む特殊教育について最も真面目に関心を示してくれるのはやはり養護教員です。
その方々に、自分の学校での緘黙児の実態を把握していただき、担任の先生や校長先生に緘黙症の適切な指導法を指南していただくのが上策ではないかと考えています。

始めは一つの小学校で、そして地域で、そして都道府県単位の養護教員団体へ、そして全国へ。

私はこの第一歩からきっとうまく行く気がします。
学問界に緘黙症の専門家が現れ、文科省が重い腰を上げるよりも何倍も早く学校へ緘黙症の知識が広がるのではないでしょうか。


2007年1月31日(水)
両親の理解
28日の日曜日、2回目の関西在住の会員ミーティングを開きました。

集まった会員の中に、緘黙児の母親だけが会員となっている方で、ご主人様を説得してミーティングに連れてきた方がいました。
お母様は早くからお子さんの将来を心配して適切な治療を受けさせたいとお考えであったのですが、ご主人様のほうは、緘黙症という障害の知識が浅く、ほっておいても自然に治るだろうとあまり重大視しておられなかったようです。

たしかに、ほっておいても自然に緘黙症が治る子どもはたくさんいます。
しかし、何割ぐらいの子どもが自然に治るのかというはっきりとした統計はまだ出ていないと思います。

私は緘黙児の保護者の方のブログやHPを何十件か知っていますが、大半は母親が綴られています。
母親のほうが常に子どもに接しているだけに、子どもの状態をよくわかっているからだと思います。

今回のミーティングで、私はご主人様に緘黙症がどのような障害か説明しました。
私のほかにも、幼い頃から緘黙児であった会員も来ていたので、その人の体験談もインパクトを与えたようでした。

緘黙児のケアにおいて、両親がそろって子どもの障害に対する共通の認識を持つことがいかに大切か一同理解できたようで、今回のミーティングは実りがあったと思います。
私にもたいへんいい勉強になりました。

片親だけで四苦八苦されている保護者の方々は、ご主人様又は奥様にできるだけお子様の状態を正しく理解してもらうように努力されることをお勧めします。


2007年1月13日(土)
大学院生の前で初の緘黙レクチャー
1月10日に、当会が学問界に働きかける上でお世話になっている先生にお目にかかるため、先生の大学へ行きました。

先生にお目にかかりに行った目的は、先生にじかに私という人物を知ってもらうことと、それから当会の活動の詳しい説明や有用な資料をお渡しすることなどでした。

ところが、10日に訪問する約束は4日に決めていただいたのですが、その際に、先生より、ちょうどその日は心理学専攻の大学院生が全員集まってミーティングを行うのだけど、その場で緘黙の会の活動などについて30分ほどレクチャーをやってくれないかというご要望を受けました。

急なお話しだったので最初戸惑いましたが、いずれ学会のシンポジウムなどを行うのだから、自分をそういう場に慣らせるためにもなるし、なにより、私たちが最も期待をかけている若い学生の人たちに直接緘黙症の問題について語ることのできる絶好の機会なので、ご要望をお受けしました。

で、当日、本番。

   結果: 大失敗

今後の反省材料となってしまいました。

しかし、学会でのシンポジウムを開催する前に予めこのような失敗をしておいたほうがよかったと思っています。
いかに段取り、リハーサルが大事か、それから、専門家や学生が本当に聞きたいことはなにかということを知ることができました。

レクチャーの模様は録音しておいたので、帰ってから何度も聞きなおして反省点を抽出しています。
失敗から学ぶとはこのことです。
おかげでシンポジウムに臨む気構えを正すことができました。


2006年12月22日(金)
F先生
シンポジウムでお世話になっているF先生に初めてお会いしました。
電話での印象そのままの方でした。

私は今まで本物の学者と、学者の仮面だけ被っている人々を見てきました。

F先生は本物の学者です。

私が尊敬するファラデー(電磁気学を打ち立てた実験研究者)にも値する人です。

この人のご縁を得ることができたのは奇跡じゃないかと思います。

当会を心から応援してくださっています。

大船に乗った気持ちがしました。


2006年12月21日(木)
構想スライドショー公開
やっと念願かなって、私の頭の中にだけあった思考群を整理して公開することができました。

とりあえず、第二部までのスライドショーで私がいったい何を目指しているのかご理解いただけることを願っています。

これでHP作成にひと段落つきました。

第三部、第四部については来春の公開となる予定です。


2006年12月15日(金)
来週、F先生と面会
来年の日本特殊教育学会でのシンポジウムで全面的にお世話になっている、H大学のF先生と今日電話でお話ししました。

先生は、20日が修論提出期限なので今は超てんてこ舞いのご状態であることはわかっているので、その後にお会いできる日をお聞きしました。

その結果、先生にとっては、H大がK市でで行っている夜間のサテライト講義の直前に来てもらうのが一番いいと仰られました。
私にとっても大学本部のY市まで何時間もかけていく必要がなくて双方都合がいいです。

そこで一時間ほどお話しできるので、シンポジウムに関する学会の考え方をお聞きするとともに、当会からの要望と私の個人的な要望をお話しさせていただく予定です。

初めてお世話になりっぱなしのF先生にお会いできるので、心が弾みます。


ところで、今日少しだけ伺ったお話では、やはり学会員以外のシンポジウム入場は困難とのこと。しかし、私はこれからも粘り強くお願いしていきたい・・・ところですが、これ以上先生を困らせたくないのでほどほどにしておきます。


2006年12月14日(木)
国会レポートの草稿
今日、平野代議士の秘書のKさんから、年末に地域に配られる国会レポートの草稿をPDFファイルで送っていただきました。

先日、Kさんと打ち合わせをし、その後草稿がワードファイルで送られてきて、それに少々私が修正された文章にまた少々修正が加えられた文章が、見開きの4分の1のスペースを使ってしっかり掲載されていました。

私の地元の地域だけの配布ですが、当会の活動、すなわち緘黙症を文部科学省に対して訴えた活動が初めてインターネット以外の公共の媒体に紹介されるのです。
私はようやく当会の活動が芽を出し始めたことに喜びでいっぱいです。

完成版が配付されたら、すぐに当会HPやブログで紹介します。

楽しみにお待ちください。


2006年12月11日(月)
登壇者を外部からスカウト
特殊教育学会での緘黙症シンポジウム実行委員長のF先生が、12月9日の常任委員会にて当会からの質問や要望を諮ってくれる算段になっていたので、結果を問い合わせるメールを今日出しました。

明日ぐらいにこちらから電話をして直接お尋ねしようかと思っています。

シンポジウムの企画者は私とF先生の両名で申請しました。
実質的には私がたたき台を作り上げて、それを元にF先生にご意見を伺いながら調整していく予定です。

ところで、保護者の立場としてインパクトのある人が当会の会員にはいないので、外部からスカウトすることにしています。
今、強力な人物を外部から呼んで来るために、まず当会の代表として手紙を書き、お返事を待っているところです。
この方にご登壇いただければたいへん助かります。
はたしてどういう結果になるか。
私の人格次第でしょうか…

<FONT color="#ff0000"><U>この日誌をお読みの方で、自分が登壇してあげてもいい!と仰っていただける方がおられれば大歓迎です。
保護者としての苦悩を訴える直接訴える大チャンスです。
登壇ご希望の方はメニューの「お問い合わせフォーム」からお申し出ください。</U>


ところで、今まで、当HPでは、せっかくお越しくださった方々に対して、私が思い描いている構想をはっきりお伝えしてできていませんでした。
そのために、理念はわかるけど、実際なにをするの?といった疑問を持ち、入会には躊躇されたという方もおられたかもしれません。

これはひとえに私の怠慢でありましたので、今頃、構想説明のためのコンテンツを作成しています。
早くて来週ぐらいにアップできればいいと思っています。

けれども、これがなかなか難儀な作業です。
頭の中にははっきりあるのに、分かりやすく人に文章や図を使って説明するのは難しい。
ここのところこの作業に没頭しています。
あと少々お待ちください。


2006年12月6日(水)
大学の先生は忙しい
日本行動療法学会理事長である、北海道医療大学のS先生に2週間前にメールを出して、一度電話でお話しさせていただきたいのでご都合のよい日時を指定してくださいと申し出ていました。
しかし、S先生はその後何度か研究室に電話してもぜんぜんつかまりませんでした。

今日、やっと夕方のゼミが終わったあとに私の自宅へ電話してくださいと学生さんに言伝を頼んでいたので、やっと電話で連絡がつき、どのぐらいお時間が取れますかと尋ねると、次にすぐに会議があるから5分ぐらいとのこと。

結局、お話ししたいこともほとんどできませんでした。

次、いつまとまってお時間が取れるでしょうかと尋ねると、「次は12月20日ぐらいだなあ、私は尋常ならないスケジュールで動いてるので…」

私は驚きの限り驚き、電話での連絡はもう結構ですと言い、こちらからメールですべてお話ししたいことをお送りすることにしました。

大学の現役のえらい先生はみんなぎっしりのスケジュールで動いていることを改めて痛感。
K先生然り、S先生然り…

それに比べれば、私はまだちゃらんぽらんにやってることを認識。


2006年12月5日(火)
三巨頭との面会
先日、知己を得た行動療法学の三重鎮の先生方のうち、今シンポジウムのことでたいへんお世話になっているF先生に直接お目にかかりたいとお願いしました。
そうすると、年末年始頃にお会いしていただけるとご承諾いただけました。

私は三人の先生と全員お会いしてお話しがしたいので、昨日、今度はノートルダム清心女子大のK先生に同じお願いをしました。
すると、2月11,12日にたまたま神戸で用事があるので、その折にお会いしていただけることになりました。

そして、今日は吉備国際大学のS先生に同じお願いをしました。
すると、S先生には1月の中ごろにお会いしていただけることになりました。
これは私が岡山へ足を運びます。

先生たちには私の構想をより詳しくお話しするとともに、先生方の研究暦や行動療法学のエッセンスをお聞きしたいと思います。他にもシンポジウムや私的な事柄についていろいろお願いしたいことがあります。

三人の先生ともたいへん当会に対してとても関心をもってくださっており、たいへんありがたいことです。

S先生は、私がメールで紹介した"Helping Your Child with SM"と河井先生の「緘黙児の心理と指導」まで購入されてお読みになられたそうです。

いずれの先生も行動分析、行動療法学を日本に根付かせたパイオニアの方々です。
しっかりそのパイオニアスピリットを伝授していただこうと思います。


2006年12月4日(月)
細かいことがいっぱい
代表は普段なにやってんだ?
会社辞めて悠々自適にやってるのか?とお疑いの皆様へ。

ある意味、暇になりました。
でも、私の頭の中はほとんど一日中今後のスケジュールの進めかたや私的な留学準備のことでぐるぐる回りっぱなしです。
リラックスしてる時間はほとんどないです。

シンポジウムのシナリオはほとんどできています。
シンポジウムと言うのは、ただの体験発表会ではありません。
全体を通して、緘黙の当事者や保護者を代表して当会から聴衆に向かってあるメッセージを伝えるために行うのです。

だから、登壇者は、予め決められたシナリオに自分の思いを織り交ぜてお話ししていただくことになります。

そのシナリオを考えるのは楽しくもあり、たいへんでもありました。
いま、そのシナリオにぴったりの登壇者を選んでいます。

中には当会の会員に適当な役目を果たせる人がいないので外部への働きかけも行っています。それがうまくいくことが今回のシンポジウムのインパクトに大きく関わります。

ということでこれでもけっこう神経使ってやってます。

何も考えずに皆さんにあれしろこれしろと命令しているわけじゃないのでご了承お願いします。


2006年11月28日(火)
平野代議士事務所での予備相談
今日は、再び衆議院議員の平野先生の事務所を訪れて、政策担当者のKさんという方と双方の現状報告と今後の方針について打ち合わせを行いました。

約3時間ほども熱心にお話しをお聞きくださり、Kさんが私たちのようなマイノリティの立場に非常に理解を持っていらっしゃることが分かりました。

今日は、平野先生が12月にときどきお帰りになるので、そのときにまた面会させていただくための予備相談に伺いました。

平野先生からはちゃんと文部科学省に緘黙症についてどのように善処するかを明記した文書を出すように指示が出されており、その回答期限が来月とのことです。

それから、平野先生の事務所からは、定期的に地元向けに国会活動等を報告する小新聞のようなものを配付しているのですが、次回12月に配付される新聞に、当会の活動を取り上げてもらえることになりました。
見開きの4分の1のスペースを使って、緘黙症とはどのようなものであるか、先生の選挙区に日本で初めて創設された緘黙症のボランティア団体の代表(私)から訴えを受けたこと、その訴えを受けて直接文部科学省へ善処するように指示したことなどを詳しく書いていただけるそうです。

地域だけの新聞ではありますが、4万部ほど配付するそうなので、かなりの人口が目にするはずです。もしかして、この新聞を読んで初めて自分が、我が子が場面緘黙症であると気づく人も現れるかもしれません。
今までインターネットでしか発信できなかった私たちの活動を初めて紙の媒体によって数万人の人々にお知らせできるのです。
当会の連絡先等も掲載していただこうと思いますので、これでまた入会者が増えるかもしれません。

新聞が発行されて、もし許可をいただけたら。その記事を当HPや一般HPに掲載させていただきたいと思います。
楽しみにお待ちください。


2006年11月24日(金)
医学面から見た緘黙症
21日の火曜日、私のブログにコメントいただいた人が教えてくれた、国立成育医療センターのK先生に電話でお話ししました。
K先生は同センターのこころの心療部育児心理科の先生です。
いわゆる児童精神科医と呼ばれる人で、「心の科学」という専門雑誌の130号に緘黙と吃音について記事を掲載されていました。

今まで、私は心理学の面から緘黙症がどのように研究されているかしか見ていませんでしたが、今回初めて医学の面から緘黙症がどのように研究されているのかをお聞きすることができました。

先に結論を言うと、日本では医学的にも緘黙症に関しては誰も研究を行っていないとのことでした。
そもそも児童精神科という独立した科はアメリカなどにはありますが、日本にはないそうです。
じゃあ、日本で児童精神科医と呼ばれている人はどういう人たちかというと、精神科の先生が児童専門に特化していったか、小児科の先生がメンタルなケアに特化していったかのどちらかだそうです。それらの人々が半々だそうです。

K先生は精神科のほうから児童専門に特化してきた先生で、20年間で1年に一人か二人ぐらいの緘黙児を診てきたそうです。
しかし、診たうちよく治ったと言える子どもは2割程度とのことでした。

先生は、正直言って緘黙症は治療ガイダンスもないし、どうアプローチするのがよいのかよくわからなかったと仰っいました。

私は、当会の紹介をして、欧米での動向をお教えし、ぜひ&quot;Helping...&quot;を参考にしてこれからは緘黙児の治療に役立ててください、他の児童精神科医の仲間の方々にも紹介してくださいとお願いしておきました。

これで心理学のみならず精神医学においてもやはり日本に緘黙症の研究者は存在しないことが明らかになりました。


2006年11月17日(金)
退職、そして活動開始
今日は午前中に出勤し、最後に残っていた片づけをしたり書類を渡したりしました。
そして、所長や幹部の方々にご挨拶をし、ちょうど昼時だったので所内にまばらに残っている所員たちに挨拶をしてすぐに帰宅しました。

帰ってからは早速活動開始。

今日は、ブログである方から紹介されていた国立成育医療センターのK先生に電話をかけました。
K先生は「心の科学」という雑誌に先般緘黙症に関する記事を掲載されていた方です。海外の文献もよく読んでいらっしゃるらしいので、どのような人かお話ししたかったのです。
残念ながら今日はちょうど診察中で、5分ほどお話ししただけでしたが、来週火曜日の晩にお暇があるそうなので、先生から私のほうへお電話していただける約束を取り付けました。

次に、来年の日本特殊教育学会の実行委員長のF先生に久しぶりに電話をしました。
そして、シンポジウムの進行の仕方について詳しく伺いました。

私的な話として本日を持って退職し、今後、この活動に専念し、再来年に留学して緘黙症のエキスパートとして帰国するなど将来のビジョンを説明すると、たいへん喜んでいただきました。また、できることはなんでも協力しますよと言っていただきました。

だんだんネットワークが大きくなってきて頭の中で整理できなくなってきました。
ちゃんと人脈をチャート化して記録するようにしたいと思っています。


2006年11月16日(木)
若き学生さんたち
日本行動療法学会の現在の理事長は北海道医療大学のS先生という人です。
この先生のゼミのHPがなかなか詳しく書かれています。
ゼミ生も修士、博士課程の学生は全員自分の研究内容を詳しく説明しています。

HPを拝見して、S先生という方に非常に興味を持ちました。
その経歴や風貌から、これぞ学者たる学者に違いないと私は直感しました。

大学の研究室で長く過ごしてきた経験上、世の中には、学者の仮面だけ被っている学者も大勢いることを私は知っています。

先生は現在海外出張中で、帰国されてからでないと連絡はできませんが、そこの学生の方々にも非常に興味を持ったので、朝、研究室に来ている学生さんたちに電話をかけてお話しました。

最初に修士2回生の女性の学生さんとお話ししました。

まず、S先生の人柄や研究の内容などについて伺いました。
学生さんのお話しによると、先生は私がやはり直感したとおりの人でした。
その後は、私の方が一方的にまた当会の紹介をして、行動療法学が緘黙症治療に重要な役
割を果たしていることを伝えました。

電話の最中に博士2回生の学生がお見えになったというので、最初の学生さんとのお話しが終わった後、その学生さんともお話しをさせてもらいました。
今度は男性の学生さんで、まず学生さんがどんな研究をされているか伺った後、また当会の紹介をしました。だいたいのことは前の修士の学生さんにお話ししてHPのアドレスもお教えしておいたので、今度は手短に話しました。

二人ともたいへん真面目に研究に取り組んでいらっしゃる雰囲気がひしひしと伝わってきました。それだけでS先生のお人柄がわかるというものです。

驚くことに、博士課程の学生さんによると、S先生は昔、場面緘黙症に関する本を書いて出版されたことがあるそうです。
しかし、今はアマゾン等で検索しても出てこないので、ずいぶん前に絶版になっているのでしょう。

ともかく、S先生も場面緘黙症に注目していた時期があったということがわかり、今度お話しさせてもらうのが楽しみになりました。

来年の行動療法学会では当会が中心になって緘黙症イベントを開催していただくようにお願いしているので、たぶん、S先生や学生さんたちともお会いできるでしょう。
また、大物を一人見つけることができました。


2006年11月13日(月)
退職の決断
今朝の事務所の朝礼で、所長から私が今月17日をもって退職することが全職員に告げられました。
実は先週の金曜日にすでに所長には退職の意志を伝えていたのです。
退職する理由もはっきり述べておきました。
自分の主宰するボランティア団体の活動のために本業に支障を来たし始め、これからますます両立が難しくなることが退職の理由です。

所長には当会の趣旨や主な活動の成果について説明しました。
所長は十分納得されたようで、晴れて円満退職という形になりました。

今、自分は、未来への自由な希望とともに、なんでも一人でやっていかなければならない不安とが交錯した気持ちで揺れ動いています。
1ヶ月以上かけて考えて決断し、退職を告げたのに、相変わらず不安がまだつきまとっています。

でも、初めて海へ船出するときの不安のようなものでしょう。
航海の作業に励むことによって、じきに不安は自然に消えると思います。

あとは目指す国へ向かって航海を続けるのみです。


2006年11月5日(日)
YAHOOへ登録申請
最近、一般用のHPへの訪問者が減ってきました。
どうも、ここへたどり着くのが難しいようです。

googleなどで「緘黙症」で検索しても当会の一般用HPはすぐに見つかりません。
だから、これからは積極的にHPの存在をアピールする作戦を行います。
他にもいろいろなところに登録を申請します。

他にもなにかよい方法がないかもっと考えます。


2006年10月26日(木)
日本行動療法学会へ緘黙症イベントの申し入れ
今日はK先生に電話して、例の兵庫教育大学のS先生に来年の日本行動療法学会年次大会に緘黙症のイベントを盛り込むようお口添えいただいたかどうか確認しました。
K先生は「しっかり伝えましたよ」とおっしゃっいました。

そのご報告を受けて、同学会の来年の神戸年次大会の実行委員長でいらっしゃるS先生にメールを送りました。そして、来年の大会で、日本特殊教育学会と同じように、緘黙症のイベントをプログラムに盛り込んでいただくようにお願いしました。

当会の活動や実績についても少々細かくご説明し、順調にネットワークを作りつつあることをアピールしておきました。

S先生からのお返事が楽しみです。

2006年10月22日(日)
緘黙症イベント第2弾作戦
今朝、先日日誌に書いたノートルダム清心女子大学のK先生からFAXをいただきました。

さて、先生は明日からの日本行動療法学会の年次大開に参加するために東京にいらっしゃるのですが、私はあることをお願いするために東京にいる先生に連絡を取りました。

昨日、たまたま行動療法学会の事務局に学会について尋ねる電話をしたのですが、その折に、来年の年次大会は日本特殊教育学会と同じく神戸で開催され、その実行委員長は、なんと私が以前初めて行動分析について教えをいただいた兵庫教育大学のS先生であることを教えてもらいました。

そこで、私は今回の行動療法学会にもS先生も理事として参加されているはずだから、K先生から来年の年次大会にも緘黙症に関するイベントを盛り込むようにお口添えいただけないかお願いしました。

K先生はS先生よりもさらに一世代か二世代上の大御所様なので、たぶんご提案を取り上げて下さるのではないかと思います。
したがって、これが成功すれば、来年は神戸で続けて2回の緘黙症イベントを開くことができます。
K先生からのよいお返事をお待ちしましょう。


2006年10月16日(月)
緘黙症シンポジウム開催!
我ながらこんなにとんとん拍子にすばらしい成果が続いていることに戸惑っています。

昨日、九州大学のH先生から紹介されていた、もう一人の行動分析派の草分け的存在である兵庫教育大学のF先生と電話で連絡をとることができました。

この先生の活動振りや凄まじきでまさに世のため人のために命を燃やしていらっしゃるような先生です。

先生は日曜でしたがたまたま研究室に来られていて、留守電を入れていた私へ電話をかけてきてくださったのです。
先生はパソコンを見ながら電話をなさっていたので、すぐさま当会の一般用HPのアドレスをメールで送って差し上げ、HPを見ていただきながらお話しすることができました。

とにかく親切この上ない先生で、私たちの活動の趣旨もすぐに理解してくださり、このように緘黙症の研究が遅れているのは自分たち学者の怠慢のためだとまで仰ってくださいました。

そして、驚嘆すべきことに、来年の日本特殊教育学会大会で「特別に場面緘黙症のシンポジウムをプログラムに入れてあげてもいいよ」と仰ってくださったのです。
F先生は同学会の理事であり、来年の学会大会の「実行委員長」なのです。
シンポジウムは緘黙の会が企画して自由にやってもらってもいいよと言われました。

それに対する私の答はみなさん、おわかりですね。

やります!

何百人という学者の前で緘黙症の研究をお願いする最高の機会です。
私たち会員からはたぶん元経験者2人、保護2人ずつ登壇して体験談を話すことになります。
企画者は代表の私が務めさせていただこうと思います。

学会は来年2007年の9月22日〜24日にわたって神戸で開催されます。
まだ1年近く先のことですが、シンポジウムをするかどうかの返事は11月から12月にはしてほしいとのことです。

ついに私たちの声を直接学問界の方々に訴えるチャンスが到来しました!
入念に準備を行ってシンポジウムを成功させたいと思います。
会員の皆さん、ご協力お願いします。


2006年10月14日(土)
会員専用HPの掲示板が完成
苦心惨憺、やっと当HPの掲示板システムが完成しました。

掲示板に書き込みがあると、すぐに会員全員にメールで通知がされるようにしました。

みなさん、早くメーリングリストの登録してくださいね。

これからは公の話し合いなどは掲示板上でじゃんじゃんやってください。

掲示板は全会員が発言できる「全会員掲示板」と、賛助会員以上が発言できる「賛助会員以上掲示板」の二つがあります。
賛助会員以上用のほうは当会の秘密企画の話題等を含んだ話し合いのために使います。
そうでない話題はなるべく全会員用のほうでやりましょう。

私への私信は従来どおり私のメアドへ直接お願いします。


2006年10月12日(木)
大御所と談話
今日は体調が優れないので会社を休みました。

それをいいことに、自宅の電話を使ってみっちり爆撃作戦を展開しました。
自宅の電話だと日本全国市内通話料なみの料金でかけられるので、こういうときに遠方を攻めておくのがベスト。

今日は早速昨日九州大学のH先生にご紹介いただいた3人の先生にコンタクトをとってみました。

そのうち、まず、岡山県の吉備国際大学のS先生とお話しすることができました。
S先生は日本における行動分析学の重鎮と仰がれる方です。
私のお話をたいへんよく理解してくださり、場面緘黙症の研究が停滞しているのは我々学者の責任でもあると仰いました。
ぜひ私たちの活動に協力しますよと仰ってくださいました。
来週月曜日にもう一度大学の相談室へ電話させていただくことになっています。

次に、同じく吉備国際大学の名誉教授で、現在は同じ岡山県内のノートルダム清心女子大学で教鞭を取っておられるK先生とお話しすることができました。
K先生はこの道40年というまさに日本の行動分析学の草分け中の草分けの方で、これまでに行動分析学会長、行動療法学会長などを歴任されています。
先生にはまず大学のほうへ電話しましたが、時間の関係で少ししかお話しできなかったので、メールで当会のHPをお教えしておいて、先生が帰宅されてから先生のご自宅へ連絡をするように仰っていただきました。
まず、驚くべきことに先生自身が幼稚園のとき場面緘黙児だったそうです。
だから場面緘黙がどのようなものか説明するまでもありませんでした。
K先生はけっこうざっくばらんな感じの方で、何でもお尋ねくださいよと仰ってくださいました。
それから自分からいろいろと学問会のことについてお話しもしてくださいました。
文部科学省への働きかけのお話しもしましたが、そんなに簡単にはいかないよと仰られました。私もそう思っています。

このような先生たちをどんどん味方にどんどん学問界に緘黙の研究の必要性を喚起させていきます。

九州大学のH先生からもう一人ご紹介をいただいていた兵庫教育大学のF先生とは連絡をとることができませんでした。月曜日にでももう一度連絡をとってみます。

それから、今日はもう一人、琉球大学心理学科の心理相談室のI先生とお話しをすることができました。I先生は若い講師の先生ですが、行動分析学を専門になさっておられます。心理相談室はこの9月にできたばかりだそうで、まだ緘黙児の相談は受けたことがないそうです。
そこで、I先生にも当会の趣旨や活動について説明をし、もし緘黙児の相談があったら当会が進める著書をご参考にしてぜひ指導を行ってくださいとお願いしておきました。
多分私より若そうな方でしたが、たいへん誠意の感じられる先生でした。

学会の重鎮から若手まで、できるだけたくさんの学者に啓蒙を行います。


2006年10月11日(水)
じゅうたん爆撃作戦開始
臨床心理学と名のつく学部や学科をもつ日本中の大学をじゅうたん爆撃する作戦を開始しました。
日本の南からYAHOOで出てくる大学のHPをしらみつぶしに調べて、臨床心理をやっている大学に電話をかけまくっています。

今日は沖縄と鹿児島と福岡の6大学に電話をしました。
しかし、ほとんどスタッフ不在で話ができたのは九州大学だけでした。

ところが、この九州大学が大当たりでした。
九州大学には教育学部に教育心理学系心理・発達臨床心理学講座という講座がありそれに附属の発達臨床心理センターというものがあります。
そのセンター長のH先生と1時間近くお話しをすることができました。

私は当会の目的とこれまでの活動の履歴を説明し、日本中の学者に啓蒙活動を行っていることをお話しすると、先生から行動分析の草分け的な先生を3人紹介していただけました。とくに、名誉教授となられている吉備国際大学のK先生はそういう話にたいへん関心をもってくれるだろうとのことでした。

喋っているのはほとんど私でしたが、これまでお話しをさせてもらった先生方の中でこれほど真剣に私の話を聞いてくださったのはH先生が初めてでした。

先生はさすがに九州大学の大物学者だけあって、マイナーな緘黙症であっても、私の訴える趣旨を十分汲み取ってくださったようでした。

明日は、H先生のご紹介くださった先生方にコンタクトをとってみることにします。


2006年10月10日(火)
啓蒙活動の方法の検討
ここ何日か、このHPに掲示板cgiを設置するのに試行錯誤しています。
ひとつ問題をクリアしたと思ったら、また次の問題が出てくる。
いったいどうなっているんでしょう。
はじめから完全に出来上がったものを提供してくれてるわけじゃないんでしょうか?


さて、衆議院の平野先生に文部科学省に対して働きかけを行ってくれることになったのはいいのですが、実のところを言うと、私としてはそれはまだ早いと思っていました。
けれども、先生がやると勝手に決められたので感謝はしましたが…

なぜ文科省に場面緘黙の検討の指示をするのが早いかというと、指示を出しても受け皿が日本にはないからです。
もし先生の指示どおり場面緘黙症という各論を検討することとなると、文部科学省はおそらく中央教育審議会に検討を行わせようとするでしょう。
しかし、何度も言うように、日本には特別場面緘黙症に関心を持っている学者はいないのです。
だから、結局審議されないで戻ってくるのではないかと思います。

私が構想していたシナリオでは、まず学問会に場面緘黙症の研究の必要性を啓蒙して回るという活動をして、味方になってくれる学者を何人か作ってから国に働きかけを行うつもりでした。

平野先生はおそらくもう文科省へ指示を出されているでしょう。

順番は逆になりましたが、それでも、学問会への啓蒙活動を続けていきます。
ここのところ、心理学を研究していると思われる日本中の大学にしらみつぶしに電話をかけています。
しかし、これまで一つとして場面緘黙症に特に関心を持っている研究者を見つけることはできませんでした。

けれども、今日、鹿児島純心大学に電話をかけると、同大学の臨床心理の現場で相談にあたっている先生とお話をすることができ、場面緘黙児も5人のスタッフがそれぞれ受け持って相談を受けているということでした。
私は、そこでどういう方法で指導を行っているか尋ね、案の定、欧米の動向のことは知らなかったので、ここぞとばかり、欧米の研究の発達と確立された治療法の存在を教え、欧米のインターネットサイトを調べてください、それから私どもが推薦する例の洋書を読んで誰か実践してみてくださいとお願いしました。
この大学はかなり私たちにとって味方になってくれそうな脈があると思います。

こういう啓蒙活動をさらに日本中に展開していくつもりです。


次に、学問会に啓蒙するのも兼ねて、もっと広く世間に啓蒙を行う手段として、マスコミを使う戦略を考えています。
たとえば、NHKなどに、私たちの活動を交えて、ある場面緘黙児のドキュメンタリー番組を作ってもらう、あるいはニュースの特集コーナーで取り上げてもらう方法。
でも、これを行うのはもっと私たちが実績を作ってみせる必要があるので、そんなにすぐに実現できるとは思っていません。

マスコミで取り上げられれば、学者だけでなく、昔の私のように、自分が場面緘黙症と気づいてない人が、これは自分のことじゃないか!と初めて知ったり、保護者や先生がこの子は場面緘黙症だったのか!と気づくなど、大反響を起こすと思われます。

実は私の親戚に放送関係の仕事をしている人がいて、昨日テレビに取り上げられる可能性についていろいろ話をしました。
その人は、はじめは放送局でこちらから申し出て取り上げてくれなんて頼んでもほとんど取り上げられることはないと言っていました。しかし、場面緘黙症というものがどういうものか、日本では研究者がおらずに欧米の知識がまったく入っていないこと、そして私たちがボランティア団体を立ち上げて欧米の知識導入のための活動を行っていることなどを詳しく話すと、そういう話ならば放送局はとびついてくるかもしれないと言ってくれました。

私はいつかそれを実現したいと思います。
そのために、さらに当会の体制を整え、実績を積んでいくことが必要でしょう。
そして、味方になってくれる学者の方々のインタビューなどができるような手はずが整っているような下地を作っておかなければなりません。

しばらくは地道に味方探しを続けていきます。
大企画は十分な下地をこしらえた上で実行します。
会員のみなさん、ご協力お願いします。


2006年10月3日(火)
設立メンバー目標達成
9月30日、10月2日と相次いで新会員が入会され、当会の目標であった設立メンバー10名を超えて会員数11名となりました。
これで会の基盤作りに十分な人数が集まったと思います。
私の思いに賛同してくださった皆様、ありがとうございました。

これまで大きな成果として、例の第一の企画の成功、そして今度の代議士を通じた国への働きかけの成功と、順調に活動を進めることができています。

ところで、今回の国への働きかけがあまりにもうまく行き過ぎたので、私が当初何年かけてやるかといろいろ打ち出していた活動案の多くを実行する必要がなくなりました。

これからは国が動いてくれるものとして、当会が次に行うことを考えていきます。

私としては、3人ほど役員をそろえたいと思っています。
なかなかこれが難しそうです。
いろいろなつてを頼って探すよりほかなさそうです。

会員の中に我こそはという方いらっしゃいませんか・・・?


2006年10月2日(月)
学校緘黙事典
実は今日入会された方とは、ある研究所のHP上を通じて少し前から知り合っていました。

そして、その方が緘黙症をテーマに修士論文を書いておられることを知り、研究題材の資料の一つとして、「学校緘黙事典」という1989年に岩手大学の山本実先生という方が書かれた緘黙児の事例集を使われていること教えてもらいました。

私もその本を読んでみたいと思い、どう入手したらいいかと思いましたが、その方より一般には売られていないようですと伺っていたので、今日岩手大学に直接問い合わせました。

残念ながら山本先生はすでにお亡くなりになられていたが、山本先生とずっと同僚で児童相談などをやってこられたK先生という方とお話しをすることができました。

山本先生はとくに場面緘黙症専門の研究者ではないが、当時は場面緘黙症に注目しており、自分が今まで相談を受けた緘黙児たちの事例を一冊の本にまとめられたのでした。

私は、その後山本先生の場面緘黙の研究を後継している方が大学におられないか伺いましたが、後継者はおられませんでした。
やはりここでも約20年近く前に場面緘黙症に注目した研究者は絶えてしまっていたのです。

大学の図書館に問い合わせると、確かにその本はあるが、一般には貸し出せないとのことでした。
教育学部の事務の方が仰ってくれましたが、もしかしたら故山本先生のご自宅に何冊かあるかもしれないので、そこからお貸ししてもらえるかもしれません。
今度またこちらの連絡先等をお教えしてコンタクトをとってもらうかもしれません。


2006年9月24日(日)
ついに国が場面緘黙症対策に乗り出す
 私は地元の衆議院代議士の政策担当者に、日本へ海外の最新の場面緘黙症の知見と治療法をもたらす構想について、どの範囲は政治的に解決可能なのか、どの範囲は学問界の動きに委ねるしかないのか、どの範囲は市民が草の根的にがんばるしかないのか、などの相談をしに行くアポを本日とっていました。

 ところが、前日になって政策担当者の方から電話があり、明日は代議士が事務所にいるので同席すると連絡がありました。

 なんと幸運なことかと思い、当日は「日本へ最新の緘黙症治療法をもたらす会」の代表として勇んで代議士の事務所に出かけました。

私の地元の衆議院議員は民主党の平野博文氏です。

 電話で連絡を受けたときは、平野先生は最初の1時間だけ同席くださり、あとは政策担当者の方とお話しすることになると聞いていましたが、平野先生は結局3時間近く最後まで相談に付き合ってくださいました。

 実は、私もよく調べずに行ったのですが、平野先生のHPのプロフィールを見ると分かるように、昨年まで5年間、衆議院の文部科学常任委員会筆頭理事を務めておられたのです。
 だから、文部科学省に対して絶大な力を持っておられるのです。
 民主党の中でも将来は党首となられるかもしれない大物議員です。(ちなみにご自宅は私の家から歩いて3分ほどのご近所さんです。)

 私は、予定通り、まず緘黙症とはどのようなものか、緘黙児がひとりでどれほど辛い思いをしているか、いかに周囲に理解がないかということを説明しました。
 それから、学校や幼稚園の先生の中には緘黙症の知識が全くなく子どもに逆効果なし同ばかりしている人もいること、親も家では普通に話すものだから問題視していない、あるいは先生と同じように逆効果なことばかりしている家庭もあることなどを説明しました。
 そして、このような状況は他の障害、たとえば自閉症、LD、ADHDなどと比べて緘黙症の認知度が極端に低いからであることを説明しました。

 その理由のひとつとして私は日本の学問会に場面緘黙症の研究者が20年ほど前に絶滅して情報を発信する人がいないことが第一原因であると考えていることを述べ、まず変革をしなければならいのは学問界であると持論を展開しました。
 それから、日本で緘黙症研究が途絶えている間に、欧米では目覚しく研究が発達し、今では昔の通説の多くが覆され、行動分析学による実証的な治療法が確立されていることを説明しました。

 その際に、河井先生の「場面緘黙児の心理と指導」と「Helping Your Child with Selective Mutism」を見せ、その内容の20年の差をじっくりと説明しました。
 今さら、日本の学者に研究をやり直せというより、すでに確立している欧米の知識をありがたく導入して日本の学校システムや社会システムに適合させる研究をするほうが早いという私の持論を述べました。

 その他にもいろいろと問題点、課題、私の活動構想などを述べました。

 すると、平野先生は、君の話はもう聞いて理解できたから、自分は国会議員として次のことをすると言明されました。

@.日本学術会議(日本の学者の長老たちが集まった学問会の国会のようなもの)に対して、教員養成の場に場面緘黙症の周知を徹底させる対策を明確に打ち出すように働きかける。

A.わが国になんらかの形で場面緘黙症の研究を実践する場所を創設する。

B.文部科学省に対して、3月31日の通知の「その他」の項を本当にやらせるように指示する。

 最後のBについて少々説明しましょう。
 文部科学省の通知とは、昨年度まで行われていた中央教育審議会の特別支援教育についての分科会の最終答申を受けて、平成18年3月31日付けで文科省初等中等教育局長より出された「通級による指導の対象とすることが適当な自閉症者、情緒障害者、学習障害者又(LD)は注意欠陥他動性障害者(ADHD)に該当する児童生徒について」と題する通知のことです。

 その通知には、「情緒障害者」とは「主として心理的な要因による選択性緘黙等」と明確に書かれています。
 しかし、通知の最後の「その他」の欄に、「情緒障害者を対象とする特殊学級については今後、文部科学省においてその在り方について検討を進めることとしていること。」とわざわざ述べているのです。

私はこの意味を文科省に直接尋ねました。
「これは場面緘黙症については現在のところ対処方法がまったくわからないという意味ですか?」
と尋ねると、
「その通りです。」
と答えられました。
それから、
「だから、これから文部科学省で検討をなさってくれるのですね?」
と尋ねると、
「そうです。」
と答えられました。
「では、どういうふうに検討を行うか教えていただけませんか?」
と尋ねると、
「それはまだ何も決まっていません。」
との答でした。
 けれども、いちおう通知に言明されているので「喜ばしい」と22日の日誌で脳天気に書きました。

 ところが、この通知を平野先生に見せると、
「これは政治的に見ると、何もやらない、と言ってることと同じや。場面緘黙症については今後もなんもせんということや。」
とその真意を見抜かれたのでした。

 つまり、「その他」に書いてることは単なるお役所的な方便に過ぎなかったわけです。

 これで平野先生の約束Bの意味がおわかりになったのではないでしょうか。
 つまり、平野先生は、この「その他」に追いやられている場面緘黙症の検討を、方便ではなく、「本当にやらせる」ように指示すると言ってくださったのです。
 先生の約束していただいた3つの事項のうち、実はこのBが最も意味が深いのです。文部科学省が本気で場面緘黙症の研究対策に乗り出すのです。教育界は完全に上意下達の世界ですから、文部科学省がやると言ったら国全体が本気で動くわけです。
 以上が平野先生が私に約束してくれたことです。


 私はどんな方法で請願の手続きをしたらいいのかとかぐらいのことを相談するつもりだったのに、先生が直接お話しを聞いてくれたおかげで手続きも何もすっ飛ばして、あっという間に国家政策にするように掛け合うことを約束してくださったのです。
 私はあまりのことの運びの速さにまだ信じられない気持ちです。
 なんだ、こんなこんな簡単なことだったのか… ネットから飛び出したらあっという間に世の中は動かせるんだということを改めて実感しました。

 さて、みなさん、だからといって大喜びするのはまだ早いです。これはあくまでスタートです。
 文科省が果たしてどんな政策を打ち出してくるのか、日本学術会議がどれほど真剣に取り上げるのかなど、それはまだ未知の話です。
 いろいろなところでプロジェクトがスタートしたとしても、日本が欧米の水準に追いつくのに10年はかかるだろうと私は思っています。なにせ、受け皿が日本には全くないのですから。無から有を生み出すようなものです。
 日本に最新の場面緘黙症の知識と治療法がが導入され、それを教える専門家が育成され、全国の教員や各種の児童相談に関わる人たちが正しい研修を受けられる体制が整う日はずっと先です。

 その日までに私たち「日本へ最新の緘黙症治療法をもたらす会」がなにをできるのかを考えます。


2006年9月22日(金)
文科省の通知2
1. 昨日、文科省の通知の最後の文言に関する、通知を出した文科省自身の見解とT大のM先生の見解との相違を正すために、再度文科省へ問い合わせをした。その結果、やはり、「情緒障害者を対象とする特殊学級については、今後、文部科学省においてその在り方について検討を進めること」と書かれているのは、「場面緘黙症についてはまだどんな対処をしたらいいかわからないことを意味しているのである」と明言された。
 それでは、これからどういうふうに検討を進める計画かと尋ねると、「それについてはまだ何も決まっていない」との回答だった。さもありなん。そう簡単にいく問題ではないことにいずれ気づくだろう。なにはともあれ、国が明確に「場面緘黙症の指導方法を検討する」と宣言していることは喜ばしい。

2.日本学校教育相談学会という学会があることをある方に教えてもらった。そこでは主にスクールカウンセラーなどの仕事をしている人たちが様々な児童・生徒との関わり方を考えており、場面緘黙児の指導について学会の大会等で発表されている方々もという。現在の教育現場での取り組みの状況を教えてもらえる絶好の学会だと思い、同学会に電話して場面緘黙児に関わっている方を紹介してもらえないかお願いした。しかし、電話に出た学会の受付役は用心深く、当学会は3400名もの会員がいるのでそのような人をすぐに探すことはできない、と言われた。では、会長の先生に直接連絡をとりたいとお願いすると、そのようなお願いはまず文章にしたためて郵便でお送りくださいとの返事だった。いろいろなところから同様な問い合わせが来るものだから、簡単にはお目通りさせないわけだろう。

3. 再度同学会を教えてくださった方に電話して以上のことを話すと、なんと、その方のほうから口を聞いて場面緘黙児の指導に取り組んでいる方々を紹介してくださるとのこと。教育界には太いパイプを持っておられるようだ。お言葉に甘えて、ぜひご紹介いただけるようにお願いした。


2006年9月21日(木)
文科省の通知
1. 昨年度2006年3月31日に文部科学省より出された通知「通級による指導の対象とすることが適当な自閉症者、情緒障害者、学習障害又は注意欠陥多動性障害者に該当する児童生徒について」と題する通知について、文科省初等中等教育局特別支援教育課企画調査係へ問い合わせをした。

 同通知では4つの障害の種類を定義しており、ア.自閉症者、イ.情緒障害者、ウ.学習障害者、エ.注意欠陥多動性障害者に分類して、それぞれの障害に応じた通級指導を行う留意事項などが書かれている。
 この中で、情緒障害者とは「主として心理的な要因による選択性緘黙等」と明示されている。しかし、同通知の最後のにその他の事項として「情緒障害者を対象とする特殊学級については、今後、文部科学省においてその在り方について検討を進めること。」と書かれている。
 私はこれについて、情緒障害はこれから検討するということは、場面緘黙症についてはまだどんな対処をしたらいいかわからないことを意味しているのかと尋ねた。答は「そうです」とのことだった。

 この通知は昨年度まで行われていた中央教育審議会の「特別支援教育を推進するための制度の在り方について」という分科会からの答申を受けて文科省より出されたものである。

2. それで、私は次にその分科会の20名のメンバーのうち、委員長代理をなさっていたT大学のM先生にこの分科会で場面緘黙症がどのように話し合われたのか問い合わせた。その結果、分科会ではそのような細かい各論を論じることはなく、答申を出して解散したとのことだった。ところで、M先生にも、情緒障害についてはこれから検討するというのは場面緘黙症の対処の仕方が分からないからかと伺うと、先生はそれは違うという見解を述べられた。その理由について私もよく理解できなかったので詳しくは書かないが、文科省と見解が違う。この通知の最後の文言の意味を後日確認したい。

 因みに、M先生には同通知が出されるに至った経緯を詳しく伺うことができた。いろいろ建設的な意見を言ってくださるので、当会のHPのアドレスをお教えしておいた。今後またお世話になるかもしれない。


2006年9月5日(火)
会の名称
 「緘黙児を支援する会」という名称は初めて私が活動を行ったとき、名刺に仮につけた名称だった。
 この名称を読めば、私たちが専門家であり、直接緘黙児の保護者の方々にアドバイスしてあげたり、相談に乗ってあげたりする会のような印象を与えてしまう。だから、いつかは会の名称を変えないといけないなと思っている。実際の活動を名称にすれば、むしろ当会は「緘黙児を支援させる会」と名乗るべきじゃないかな。いずれ会の名称について議論しようと思う。


2006年8月23日(水)
アンケートは中断
学校へのアンケートはしばらく中断しようと思う。そんな末端のところに焦点を当てるのではなくて、その元締めに介入していく方法を考えよう。

ブログに書いたが、私が小学3,4年生のときの担任のB先生曰く、「教師は3〜4時間しか睡眠が取れないほど忙しい。夏休みもずっと研修続きで土日もほとんど休む間がない。」

ならば、その研修とはどんなことをやっているのか、障碍児教育に関する研修はどんなことをやっているのか尋ねてみようと先生の学校へ電話したら、「今日もこれから研修で忙しいから、私が暇になって電話するまで待っててください!」とかなりきつい調子で言われた。もっと普通に言えばいいのになんでそんなに怒るんだ?と思いつつ、「今日は研修のことについて伺いたかったんですが…」というと、「そんなこと個人的にお教えすることはできません!!」とさらに甲高い口調でほとんど怒鳴られた。教師は子どもっぽいままの人が多いと聞くが、B先生も新任で私たちの担任になられたときとぜんぜん変わってないなあという印象を受けた。

で、現場の教師から話を聞くのはやめにして、市教委のほうへ今度、教師の研修のメニューについて伺うことにする。はたして市教委がどこまで把握しているか。実は今日市教委に電話してみた。あいにく研修について把握している担当者が不在で他の係りの人と話をしたが、教師の研修はだいたい半分は市教委が行い、もう半分は府教委が行うそうだ。その中で特殊教育の研修も含まれていることはわかった。けれども、それ以上詳しいことはご存知なかったので、明日でも担当の人に聞く。研修で教えていることはなにか、講師は誰か、どのぐらい詳しく教えているのか、そしてそのメニューの中に場面緘黙症が入っているのか。その実態を徹底的に調べ上げて、どこに焦点を当てて活動すればよいのかを探る。


2006年8月21日(月)
精神分析と行動分析
 7月からがんばってきて書類も全部完成させたが、どうやら、市内の学校へのアンケート調査は一から計画を見直さなければならないようだ。
 市内の公立学校へアンケート調査を行うためには、市の教育委員会を通さなければならない。しかし、市教委という第一関門を破ることは個人の団体ではできない。市の教育委員会が受け付けるのは、「文部科学省;」、「大阪府教育委員会;」、そして「教員養成課程を擁する大学」からのアンケート依頼だけだと教えられた。
 それで、なんとかそれらのルートに手を回して協力してもらえないか方法を考えた。文科省ルートは論外として、府教委に府民のアンケートを取り上げてもらえないか尋ねたが、これもやはりだめ。残るは大学ルートだ。まずはインターネットで、関西地区の教育大学で場面緘黙の研究をやっていそうな研究室がないか探してみた。そして、4箇所ほど目星をつけて、そのうちの一つ、H大学の発達心理臨床研究センターのSセンター長に18日にたまたま電話でお話しを伺うことができた。
 残念ながら同センターでは場面緘黙症を研究対象にしている研究者はいないということだったが、その代わり、重要な情報を教えてもらうことができた。
 実は、日本の臨床心理の世界は95%が精神分析派、そして5%が行動分析派なのだそうだ。同センターは日本でも唯一行動分析を看板に掲げている研究所だという。臨床心理の世界がこれほど極端に精神分析派に偏っているのは世界的に見て超異常な状態なのだそうだ。
 精神分析というのは、S先生が簡単に説明してくれたところによると、「人間の深層心理を探求する学問であり、たとえば、緘黙症を治療するならば、そのような心理に至った原因を探り(たいてい親の育て方が悪いとされる)、その原因が発生したところから子どもを育てなおすことを目標とする」ものである。
 一方、行動分析というのは、人間の深層心理を探求するよりも、「今の状態から『ほめたり』することによってよい行動を強化していく学問であり、緘黙症を治療するならば、今の話のできない状態をスタートにして、そこから階段を一歩一歩登るように子どもを支援してゴールに導くことを目標とする」ものである。
 場面緘黙症の海外の最新の知識は、私の調べたかぎり、行動分析を主体として研究がなされた結果であり、緘黙症の治療法は行動療法や認知行動療法などを基礎にしている。私たちが推奨する緘黙治療のための書籍もそうだ。
 では、なぜ日本ではこれほど極端に精神分析派に偏っているかというと、S先生のお話のニュアンスによれば、かの河合隼雄先生の絶大な影響のためだそうだ。
 そうすると、日本ではなかなか欧米の緘黙治療法を導入するのは難しいのではないかと心配になってきた。今後の行動分析派の人々の啓蒙努力に委ねるしかないのだろうか。
 ついでに、どうしてS先生の研究センターでは場面緘黙症を研究していないのか尋ねてみた。答は明快で、相談件数がたいへん少ないからだそうだ。同センターでは心理相談も行っている。先生方はニーズの多いものから研究を行っているのだ。
 そう言われればそうかもしれないが、緘黙児の人口は自閉症と同じぐらいだ。なのに、緘黙児の相談はほとんど来ないという。これはなぜだろうか。
 これは緘黙児経験者ならわかることだろう。場面緘黙児は家では「喋る」し、学校ではあまり「迷惑をかけない」からだ。だから周囲の普通の人からあまり重大に捉えられないのだ。しかし、本当は緘黙児は毎日毎日とても辛い思いをしている。でもその辛さを「話す」ことができなくて、一人でじっと耐えているのだ。だから、大人になった私たち元当事者が彼らの代弁者になってあげなければならないのだ。
 私はこれからS先生のような行動分析派の有識者に啓蒙活動を行っていこうと思う。相談件数が少ないからといって場面緘黙症を軽視してはならないことを体験をもって教える。これを当会の活動の一環に位置づけたいと思う。
 市内の学校へのアンケートは失敗したが、そのおかげでアンケートの結果を得るよりもはるかに重要な見識を得ることができた。アンケートの結果は大体予想されていたものだし、わざわざ実行しなくてもよいかもしれない。
 こんなふうに、どんな企画でも壁にぶち当たったとき、あくまで突破口を探す努力をすれば思わぬ宝石を得ることができることもある。そして、私たちが焦点を当てるべき相手が見えてくる。